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藤井君と囲碁将棋

その15「林葉直子さんと先崎学氏」後(先崎氏)編
 林葉直子さんと先崎学さんは、いつも二人で新宿将棋センターで腕自慢の大人達を倒しては少しずつ力をつけて行きました。二人は良き仲間でしたが、林葉さんが親分で先崎さんはお付きのような関係で、何かにつけ林葉さんは先崎氏の頭をパチリと叩き、先崎氏は嫌も応もなく従うしかない。そんなコンビは、将棋の強さ以上に歌舞伎町の名物だったようです。何とも楽し気な昭和の風景です。先崎氏も、林葉さんほどでは無いにせよ、色々と逸話を残した棋士だと思います。どの逸話も、ご本人は辛く苦々しく思っているのかもしれませんが、つい笑ってしまうようなものが多く、それが多くのファンを引き付ける要因になっているのだと思います。
 青森県生まれで、9歳(1979年)の時、「よい子日本一決定戦 小学校低学年の部」で優勝しますが、決勝の相手が羽生善治氏ということで、生まれながらにして将棋の才能があり若くしてその才能が表れていたと言えるでしょう。1981年秋、小学5年で奨励会に入会し、入会後10か月のまだ小学生のうちに2級まで昇級する活躍から「天才先崎」のニックネームがつきました。しかし、それから1級に上がるのに2年近くもかかってしまい、1年遅れで入会した羽生氏に追い抜かれてしまいます。「奨励会の先輩に誘われて麻雀を覚え週3~4回も徹マンをし、小学生にして酒を覚え…」、と自伝にあります。これではよい将棋が指せる訳がなく、奨励会でくすぶっている間に羽生氏はプロデビューを果たします。羽生氏の四段デビュー戦の記事で、羽生氏と並んだ写真が掲載され、羽生氏に「天才」、先崎氏に「元天才?の先崎初段」とコメントがつけられ、ひどくショックを受けたようです。それをきっかけに発奮しプロ入りを果たすこととなりますが、三段時代にはパチスロにはまり、まだパチスロ情報誌が存在しなかった当時、いち早くリーチ目を解析したことから、「生涯最高の収入状態」と語るほど稼いでいたと述べています。内弟子時代、師匠の米長に「あのー、正座すると血管が圧迫されて、脳みそに行く血の量も当然少なくなるのでいい手が浮かびません!」と、異論を唱えたところ、師匠の逆鱗に触れてしまい、ひどく怒られたといいます。こんな、つい笑ってしまうエピソードをたくさん残しました。
 プロ入り(1987年)後の戦績は、3年で100勝に届き、2013年には47人目となる600勝を達成し、翌2014年には九段に昇段しているのですから、ご本人は不本意なのかもしれませんが客観的には至って順調なプロ生活を送っており、天才の片鱗もいかんなく発揮していると言えるでしょう。第一回「麻雀トライアスロン・雀豪決定戦」で、プロやアマ強豪の畑正憲らを抑え総合成績第2位を受賞するなど、他分野でも活躍をしています。また、雑誌や著書の執筆も盛んで、自伝の他に「パチスロ」や「チンチロリン」の専門書を出すなど、林葉さん同様にユニークで幅広い活躍をしています。普通の人に見え難いほんの微かな事象から法則性を見つける能力に長けているのでしょう。それにしても「チンチロリン」に法則性があるとは、普通の人には思い浮かびません。
うつ病九段  https://bit.ly/2GXY4HY
 2017年7月、突然、順調だったプロ生活の中断を余儀なくされます。当初理由は公表されませんでしたが、2018年9月復帰直後、うつ病を患い将棋が全く指せない状態であったことを公表しました。奥さんは囲碁プロ棋士の穂坂繭さんで、うつ病の治療も兼ね、西荻窪に「囲碁将棋スペース棋楽」を開業し、今は順調に運営されているようです。今年の正月、棋楽さんにお邪魔しましたが、いたずら小僧の面影は全くなく、痛々しいほど来客に気を遣い接客する先崎氏がおりました。囲碁も相当な腕前だそうで、囲碁の対局を静かに、そして真剣に見入っていました。NHK杯将棋トーナメントの優勝経験もある先崎氏にNHKが目をつけ、うつ病を克服した体験談がドラマ化されることになったようです。ドラマの主人公になる棋士はどれほどいたでしょうか。それだけのストーリー性と個性を持った棋士だということでしょう。放送はBS3chで12月初旬頃だそうです。
二人だけの同窓会
 2019年11月18日、雑誌の企画で林葉さんと先崎氏が40ぶりに対局することになりました。内弟子時代から、波乱の年月を経て現在に至るお二人です。なまじの昔話をするより、無言で将棋を指すことでお互いの気持ちを交わすことができたことでしょう。林葉さんの言葉をお借りすれば、将棋は心の読み合いであり、コミュニケーションでもありますので、盤上でさぞ楽しい会話をされてことでしょう。 
 二人は、並みの人の何倍何十倍もの才能に恵まれており、将棋に限って言えば、もっと大きな記録を残すことができたのではないかと思います。しかし、あまりにも才能が豊かだったが故に、その才能を将棋に集中せず、無駄使いをしてしまったようにも思えます。その点羽生氏は、限られた時間とエネルギーを将棋に集中することで前人未到の記録を打ち立てました。持って生まれた才能をうまくコントロールしながら使うことも才能であり、それも含めた総合力を棋力と呼ぶのかもしれません。
藤井君200勝達成
 また一つ藤井君が記録を塗り替えたみたいです。11月20日、木村一基九段を破り、18歳4か月での記録を達成。勝率83.3%も最高記録。やはり凄いと言うしかありません。

その14「林葉直子さんと先崎学氏」前編
 囲碁将棋の棋士は、盤上での勝負だけでなく、盤外での話題が取りだたされることがしばしばあります。プロ棋士は、人気商売の面もあり、話題提供力もプロの実力の一つなのでしょうか。棋士の数だけの個性と、興味深いストーリーがあるものだと思いますが、強烈なインパクトを与えた二人の棋士を紹介したいと思います。
 林葉直子さんと先崎学氏は年齢も近く、米長邦雄氏の内弟子として3年間を同じ空間で過ごしました。最初の写真は、内弟子になり立ての頃の写真です。師匠の言いつけで、放課後に新宿将棋センターで腕自慢の大人たちを相手に修行をしていた頃のものです。二人とも、寸時を惜しむように詰将棋に取り組んでいます。本当に美しいワンシーンだと思います。
 1982年(昭和57年)の4月、まだ14歳の中学生が将棋の女流タイトルの一つである王将位を取りました。それだけでも十分に話題性があるのですが、その少女が並みの芸能人なら負けてしまいそうなルックスと多方面の才能を持ち合わせていることが分かると、世間は放っておきませんでした。テレビコマーシャルやバラエティー番組出演の依頼が絶えず、週刊誌のネタになるような話題を常に提供することになりました。明け透けの性格だったからでしょうか、自伝の本だけでも優に10冊は越えていて、自らプライベートをオープンにしています。プロフィールには、元棋士・小説家・エッセイスト・漫画原作作家・(タロット)占い師などとあり、一般の人はどれが本職なのか見分けがつかないでしょう。しかし、彼女は将棋界のレジェンドであることに間違いありません。彼女が残した星の数ほどあるエピソードの中で、どうしても私の心に引っ掛かり気になって仕方がないものがあります。
 (以下はご本人の自伝の内容です)中学1年生だった林葉さんは、米長邦雄氏の内弟子としての生活を始めるために、福岡の親元を離れました。その際、林葉さん名義の預金通帳と印鑑を父親に預けましたが、このことが悲劇の始まりだったとは誰も知る由もありませんでした。数々のタイトルを取ったタイトル料や、20数冊ものベストセラーとなった本の印税などがこの預金通帳に振り込まれましたが、あろうことか父親がすべて使ってしまいました。稼ぎ出した金を父親に使われないような対策を講じると、父親は福岡から上京し、対局中の林葉さんを部屋から引きずり出しては、あの可愛らしい顔に容赦ないパンチを浴びせる、そんな騒ぎが何度かあったようです。親にこんなことをされたら、誰でも自暴自棄になってしまいますよね。父親は警察官で、給料も並みには貰い退職金もそこそこあったはずですが、すべて散財してしまったようです。しかし、林葉さんはとても優しい方でした。父親も高齢になり、福岡に自宅を建てて欲しいと頼まれ、それを承諾したのです。父親との話し合いで4000万円前後だということなので、林葉さん名義で借り入れを起こし、父親が新築の家に住むことになりました。数年後、父親が亡くなり家や借金を整理することになった際に、林葉さんは愕然としました。ローンの金額が4千数百万と聞かされていましたが、父親は林葉さんに無断で1億数千万の借り入れをしていたのでした。突然1億円以上の返済を求められてしまった林葉さんは、自己破産をするしか道はなく、その後は不自由な生活を余儀なくされてしまいました。サッパリとした性格のようで、あまり人前で弱音を吐くことはなかったようですが、酒を浴びるように飲むことが習慣化してしまい、肝硬変を患い余命宣告を受けているようです。将棋界や社会がこれほどの才能を持った女性を見殺しにしてしまったように思えてなりません。また、母親も姉も健在だったようですが、暴君から林葉さんを守る手立てはなかったのだろうか、そう思えてなりません。
最後の食卓 https://amba.to/2GWen7Z
 林葉直子さんの公式ブログタイトルです。どんな意味を込めてこのタイトルにされたのかは分かりません。余命宣告期限をとうに過ぎていて、林葉直子さんはもうこの世に居なくなったと思っている人もいるようですが、まだ存命です。最新のブログ「風邪は引いても後手引くな」は11月12日の日付がありますので、少なくともそこまでは元気に活動されていたようです。しかし、いつお迎えが来てもおかしくない状況への覚悟の意味で、”人生の最終段階でのちょっとした楽しみ…”との意味を込めたのだと想像しています。何とも悲しげなタイトルですが、ブログの内容は度重なる不運から生じるであろう湿気のようなものは微塵もなく、至って明るく楽しい内容です。15歳で王将・名人の二冠になった直後のインタビューで、「好きなタレントは?」に対し、「松田聖子さんです、あんな風にかわいくなりたいです!」と答えたら、翌日の新聞見出しは「松田聖子みたいにブスじゃありません!」だったとか、AIの進化に対しても、「…将棋は人と人とが指すもの、人の心を読みとるのが将棋なのに…」と、直子節は健在です。気になっている棋士が二人いるようで、度々ブログに登場します。一人は、同世代で親交のあった羽生善治氏で、若手がタイトルを独占する中にあってタイトル戦を戦っている羽生氏(羽生君)に熱いエールを送っています。もう一人は藤井君で、藤井君の才能を他の棋士とは別次元のものと見ているようです。また、「藤井君はとてもついていて今のブームはコロナが大きく影響していると」言います。オリンピックが行われていたら、藤井君の扱いも違っており、コロナでオリンピックがなくなったために夏期の関心が藤井君に集中した、と分析しています。
 「最後の食卓」を読んでいると、不思議と心の中にある湿気のようなものが除かれて行き、明るい気分になります。かつて王将10連覇をはじめ数々の実績を残した元棋士林葉直子ではなく、人間林葉直子はどこまでも明るく魅力的であり続けています。

その13「盤上の物語」
 令和2年8月20日、藤井君が王位のタイトルを取り、二冠になった直後のインタビューで、「AIをどのように捉えていますか…?」との質問に対し、次のように答えています。「AIと競うのではなく、共存する時代に入っていると考えています。人間が繰り広げる『盤上の物語』をこれからも伝えて行けたらと考えております…」 将棋の腕は一流であることはよく分かりましたが、プロ棋士としての心の持ちように感心してしまいますし、それを言葉で伝える伝え方も超一流であることに改めて驚いてしまいます。18の青年の言葉とは思えません。本当に素晴らしいメッセージだと思います。
 囲碁将棋を考える際に、AI(人口知能)の存在を無視できない状況が生まれて来ました。一時代前にはなかったテーマです。AIが進化していると言われますが、どの程度進化しているのか、一般の人がなかなか実感でき難い状況でした。そこで、AIの進化を一般の人も実感できるようにと、AIの囲碁将棋ソフトがプロ棋士と比べてどのくらいの棋力まで進化しているかを示すことが行われるようになりました。プロ棋士の棋力を基準に、AIの進化を定点観測できるのではないかということのようです。
 1996年、IBM社のDeep Blueと言うソフトがチェスの世界チャンピョンを破るということが起こり、世界的なニュースになりました。チェスは場合の数が比較的少ないので、囲碁将棋より早くAIが人間に追いつくことができたようです。また、囲碁将棋関係者は当時、場合の数が桁違いに多い囲碁将棋にAIが追いつくことは当分ないだろうと考えていました。前年の1995年、将棋の専門誌で、「将来、将棋ソフトが人間に追いつくのはいつ頃だと思いますか?」と質問しました。米長邦夫氏「永遠に来ないでしょう…」、加藤一二三氏「来ないでしょう…」、真田幸一氏「百年は負けないでしょう…」との答えです。一人だけ、「2015年には人間を負かすでしょう…」と答えた棋士がいました。羽生善治氏です。実際、2009年頃にはプロとほぼ互角の力を持つようになり、以後は徐々にAIが人間を上回り、現在はAIから指し方を学んだ棋士でないとタイトルを取ることができなくなってしまったようです。
 2016年3月、囲碁関係者にとって衝撃的なことが起こりました。当時、世界でもトップクラスのイ・セドル氏(韓国)が米ディープマインド社のAlpha Go(アルファ碁)と対戦することになりました。対局前には、イ・セドル氏は楽に勝てると考えていたようですが、5局打ち1勝4敗の大敗北を喫してしまいました。あまりのショックに、イ・セドル氏はその後プロ棋士を引退してしまいました。以後、AIが完全に人間を追い抜いてしまった現状を大変に憂うファンや、プロ棋士の存在意義が薄れたと考える人も出てきたようです。
 さて、私はAIの進化によってプロ棋士の存在意義が揺らぐとは全く考えていません。例えば、自動車でも電車でも、人間と走る速さは比較にならないほど進化していますが、だからと言って、カール・ルイスやウサイン・ボルトの評価が揺らぐことはないでしょう。動力エンジンを掲載した機械と、生身の人間が走ることを単純に比べてもあまり意味はないと思います。囲碁将棋も同じで、感情に左右される人間同士が盤に向かい、間違ったりAIでは思いつかない手を打ったりするのを見て楽しんでいればいいのではないかと感じています。藤井君は、そのことを述べたのだと私は解釈していて、「盤上の物語」と表現したのだと思っています。「(人間が描く)盤上の物語」をプロ棋士が演じ、ファンはその物語から刺激を受けたり単に楽しむ、それで十分だと思います。
 昭和30年代、SF小説や漫画で、個々人が気軽に使うことができる小型の携帯電話が描かれました。それは、絶対に起こらないだろうがそんな時代が来たら楽しいだろうな、という設定で架空の話として描かれていました。しかし、いつしか小さな子供までもが携帯電話を持つような社会になっています。それどころか、誰もが高性能小型端末を持ち歩き、高密度通信網を駆使し色んなことができる時代になっています。つまり、AIやITは、人間が想像するより格段の速さで進化するものでることだけは確かなようです。1995年に呑気に構えていた棋士同様、普通の人間が来年にも、予想もしなかった社会の変わり様に戸惑っているのかも知れません。しかし、それでも主役は人間であることに変わりはないはずですので、便利さにかまけて体力を低下させてしまったり、人間特有の感覚を鈍化させてしまうことがないようにしたいものです。
 ところで、「藤井君のパソコンが凄い…」と話題になっています。タイトル獲得後のインタビューで、「何かやりたいことはありますか…」に対し、「可能なら旅行に行きたいです。…また、パソコンを組み立てたいです…」と言っていました。藤井君は、パソコンを自分でカスタマイズしてしまうようです。旅行は実現できたのかどう分かりませんが、パソコン組み立ては実現したようで、そのグレードの高さが話題になっています。CPUがライゼンスレッドリッパー3990Xというもののようで、CPUだけで50万円もし、最高の性能だと言われています。毎秒、6000万手を読むことができるようです。棋聖戦第二局、「3一銀」の一手は、AIに4億手を読ませたら悪手と出たが、6億手を読ませたところ最善手という結果がでた、ということで有名になった藤井君が指した「神の手」の一つですが、従来のPCだと10分以上かかっていたようですが、新しいPCだと10秒でその「神の手」に到達する計算だそうです。やはり藤井君すでにはAIと共存しているようです!

その12「タイトル科挙の如し・後編」
 囲碁も将棋もプロ棋士は、そこに至るまでにはそれこそ血の滲むような努力を継続し、切るか切られるかの際どい勝負を抜け出した方たちなのです。さて、やっとスタートラインです。奨励会や院生を抜けて来た天才的な人間ばかりの集団で、それまで以上の難しい関門を何度もくぐり抜けたエリートだけで構成される、タイトル挑戦者を決めるリーグ入りを目指すことになります。囲碁の三大タイトル(名人・棋聖・本因坊)の挑戦者決定リーグはプラチナシートと呼ばれ憧れのリーグです。トーナメントプロ約500名の中から新規にプラチナシートを得る棋士はそれぞれ3名だけで、このリーグ入りを果たせば、その時点で何段であろうと七段に昇段します。このリーグで10名による総当たりの末に1名が挑戦者となり、タイトル保持者に挑戦します。そして、挑戦手合いで勝利して初めてタイトルを手にできます。
 本当に、気が遠くなるような険しい道を通らないとタイトルは手にできません。その道のりの険しさから科挙に例えられるほどです。破竹の勢いの藤井君ですが、王将のタイトル挑戦権を得るリーグ戦では、羽生九段・豊島二冠・永瀬王座に続けて敗れ0勝3敗となり、その後1つ勝って1勝3敗になったようですが、今季の挑戦権獲得がなくなりました。挑戦権を得て挑戦者となることだけでも難しいのです。そのタイトルを99回も取った羽生善治九段の偉大さを改めて感じます。藤井君が現在持っているタイトルを失うことなく毎年防衛したとしても、新しいタイトルを取ることがなければ、羽生九段に追いつくのに50年かかる計算になります。また、大山康晴氏の80回、中原誠氏の64回も特筆すべきですね。特に大山氏の場合は、棋士として活躍している間に戦争がありましたし、現在のように八つも大きなタイトルがなかった時代の数字ですから、本当に凄い数字だと思います。囲碁の場合、棋士の数も将棋の3倍以上いますし、日本以外の諸外国からも日本にやってきますので、将棋よりはタイトルが分散しており、趙治勲氏の75回が最多で、井山裕太三冠の60が続いています。井山四冠は、まだ30代ですから記録を塗り替えて行くのではないでしょうか。
 将棋の西山朋佳さんは、昨年三冠(女王・王座・王将)となり今年は防衛戦に臨んでいますが、女王・王将と防衛し王座戦は1-0でリードしています。三冠のままで今年も年越しできそうな見通しになってきました。
囲碁将棋用語2 囲碁将棋共通編②
証文の出し遅れ…早く出していれば有効だったが、着手した時には時期を逸している手。
序盤・中盤・終盤…スポーツ実況などで使われますが、「盤」の字を使います。碁盤・将棋盤から来ているようです。
筋…理に適い、習いある手順。個人の素質や才能。「筋の良し悪し」は、どんな芸事でもスポーツでも使いますね。
大局観…部分的なことに拘らず全体を見て行う形成判断。
手筋…パターン化された部分的な手段。
手抜き…攻め込まれて危ない状況を放置し別の手を打つこと。「手抜き工事…」
手拍子…その後どうなるかを熟慮せず、つい思いついたことをやってしまうこと。
手を渡す…大勢に影響の無い無難な手を打ち、相手に手番を渡し動きを見ること。
金持ち喧嘩せず…有利な側は、自ら事を荒立て仕掛けることはせず、無難に対局を終わらせようとすること。しかし、面白いことに、自分が有利だと思っていても、相手が必死に追い上げて来て、気が付いた時には逆転していることも珍しくありません。少しだけ劣勢である局面だと、何とか打開策を見つけようと必死になるので、最終的に勝利できる可能性が高いとも言われています。実生活でも当てはまるのでしょうか?

その11「タイトル科挙の如し・前編」
 今年の夏は猛暑でしたが、「暑い暑い!」と言っている夏の間に、藤井君が二冠を奪取してしまいました。あまりにもあっさりとタイトルホルダーになってしまった感がありますが、囲碁将棋の世界で一つのタイトルを手にすることは、恐ろしく遠い道のりです。
 まず、タイトルを目指すにはプロ棋士として活躍の場を与えられる必要があり、プロ試験の狭き門を抜けなければなりません。囲碁棋士でも将棋棋士でも、「一番うれしかったことは何か?」と尋ねると、タイトルを取ったことのあるなしに関わらず、一様に「プロになれた瞬間がとにかくうれしかった…!」と答えます。また、「奨励会三段リーグは二度とご免だ…!」と異口同音に言います。それほど厳しい試練の場のようです。
 将棋のプロを志す少年少女は、まず“奨励会”という養成機関に入会します。入会するには、プロ棋士のテストを受け、プロを目指すに相応しい素質があると認められた少年少女だけが入会を許されます。アマチュアレベルの基準では有段者ばかりですが、奨励会では6級からスタートし、厳しい規定をクリアーしながら少しずつ昇級昇段をして最終リーグの三段リーグを目指します。因みに、奨励会の初段か二段までくれば、アマチュアの全国大会で優勝してもおかしくない実力だと言われています。三段リーグは30名でリーグ戦を行い、上位2名だけが四段に昇段し、晴れてプロ棋士として認めらます。途中、思うように昇級昇段ができず、辞めてしまう少年少女も多く、三段リーグまで辿り着くだけでも大変で、それだけで相当な棋力の持ち主であると見做されます。21歳の誕生日までに初段、26歳の誕生日までに四段に昇段できなかった場合は退会しなくてはならないという規定があり、時間とも戦わなくてはなりません。全国の天才少年少女が集まる奨励会のなかでも、選りすぐられたトップ30名から、2名だけに絞られるのですから、これは簡単ではありません。全国中学・高校将棋選手権で優勝した少年達に「プロ入りを考えたことはありますか?」と尋ねると、「そんな夢は見ていられない…」との返事が返ってくるようです。実現不可能な夢を追いかけているような場合ではなく、目の前の受験勉強が忙しいということのようです。一体どんな人がプロを目指し、その夢を果たすと言うのでしょうか。
 藤井君はプロ入りした直後から、無敗の29連勝記録を打ち立てましたが、その直前の2016年秋の三段リーグで13勝5敗の成績でした。皆さん、これをどのように捉えますか。プロの世界に入りたてで無傷の29連勝ができる力があっても、プロ入門最終試験の三段リーグでは18戦で5敗もしてしまう、それほど厳しいリーグだということです。これがトップの成績ですから、30人がみんな紙一重のギリギリのところで凌ぎを削っています。奨励会はプロではありませんから対局料はありません。学校との両立に悩む少年少女も多く、三段リーグまで来たのだからと言って学校を辞め退路を断ち将棋一本に取り組む人も多いのですが、年齢制限により志半ばで断念せざるを得なかった人も沢山いました。因みに、三段リーグを1期で抜けたのは、過去5人しからおらず藤井君が6人目です。三段リーグ1期抜けの中学生は藤井君が初です。
 囲碁も同様な制度があり、養成機関及び生徒を“院生”と呼んでいます。院生入会にも14歳までという年齢制限があり、プロによる試験碁と面接がありあります。入会時点での目安は、アマチュア六段程度の棋力が必要だと言われています。アマチュア六段にたどり着くことができるのは、何百人に一人と言われていて、生涯碁を勉強しても辿り着くことができる人はごく僅かです。小学校低学年か遅くとも小学校高学年までにはアマチュア六段になってしまう天才少年少女しか院生には入れません。院生にはAからFリーグまであり、AからDリーグまではそれぞれ12~3名が在籍し、EFリーグは残り40~50名が在籍します。それぞれのリーグでトップ2~3位の成績を修めると上のリーグに進みますので、Aリーグまで辿り着くことができた少年少女は、すでにプロと遜色のない実力者と見做されます。その中からプロになれるのは2~3人で、成績が振るわなければ下に落ちることになります。後編に続く。
囲碁将棋用語
 囲碁将棋をされない方でも、普段から囲碁将棋用語を日常会話で使っていますので、いくつか紹介します。囲碁将棋用語が日常の言葉になったものと、日常の言葉が囲碁将棋の用語になったものがあります。沢山あるので何回かに分けてご紹介します。
囲碁将棋共通編①
結局…対局の結果がでること。広辞苑には「囲碁を一局打ち終える意から…」とありますが、将棋でも使われるようです。
味…今直ぐにではなく、後で効果が出るような石や駒の配置、又は、含みがあり何となくうまく行きそうな着手。日常でも、明確に良さを指摘できないが、何となく優れた面がありそうな事象を「味がある…」などと表現しますね。
アヤ…入り組んだ“仕掛け”や、ちょっとした“紛れ”を言います。日常でも「言葉のアヤ…」と言って、ちょっとぼやかしたりしますね。
謝る…相手の攻めが優れていることを認め、遠慮して応手すること。恐れ入ること。
本手…正しい手、本筋の手。逆の表現が「嘘手」
利かし…相手に受けを迫るような機敏な手。放置しておくと脅威となるため相手に対応させること。「凄みを利かせる」「幅を利かせる」…。
禁じ手…使用を禁じられていて、用いると反則負けになる着手。プロの対局でもたまに見られます。日常でも、「使ってはいけない手段」との意味で使いますね。
クチナシ…碁盤や将棋盤の脚の俗称でクチナシの実をかたどったとされる。観戦者が口出ししてはいけないとの意味。
後手…相手に攻める余裕を与えてしまうような手。「後手に回る…」「後手を引く」反対語は「先手」で、「先手必勝…」などと使いますね。
進行中の棋戦
 囲碁の名人戦は、芝野名人に井山裕太三冠が挑戦していましたが、3勝1敗で井山三冠が名人に返り咲き、四冠となりました。天元戦(五番勝負)ですが、井山天元に一力碁聖が挑戦していて、現在1勝1敗のタイです。女流本因坊戦(五番勝負)は、ハンマー娘こと上野本因坊に、藤沢里菜三冠が挑戦していて現在1勝1敗のタイです。藤井君ですが、2冠となり次のタイトルも期待されていますが、王将戦挑戦者決定リーグで0勝2敗と連敗スタートで、今期の挑戦権獲得はかなり難しい情勢です。対照的に、羽生九段は、藤井君を初戦で破り現在2勝0敗でトップを走っています。また、現在豊島竜王に、通算100期目のタイトル奪取に挑戦しています。初戦は豊島竜王が勝ち一歩リードしてい

その10「出藍の誉れ」
 雑誌「AERA」でも藤井君特集が掲載されているようです。10月1日には、藤井君の地元瀬戸市では、二冠のお祝い花火が上がりました。相変わらず話題になっていますが、藤井君を語る場合、どうしても師匠の杉本昌隆八段に触れなくてはならないと考えていました。杉本八段が藤井君と始めて会ったのは小学1年の時で、正式に杉本門下に入門したのは小学4年の時だったようです。杉本八段は名古屋に拠点があり、瀬戸市出身の藤井君とは距離的に近かったことは杉本門下に入門する大きな要因だったようです。しかし、距離的に近ければ師匠と仰ぐ棋士は誰でも良かったかと言うと、決してそうではなかったと思います。色々と伝わっていますが、藤井君が対局の中でなかなか読み難い難局を自分なりの思考回路で結論を導き出すのと同じ回路で、「この人について行こう…」という答えを導き出したのだと想像しています。藤井君はプロや多くのファンを驚嘆させる「妙手鬼手」を指しますが、杉本八段に師事したことが最初で最大の「妙手」だったと言うべきなのかも知れません。
 入門したての藤井君が師匠の杉本氏と勝負をすればかなわなかったでしょう。しかし、勝負の勝ち負けという次元と、「筋の良し悪し」とは次元が違うようです。「今は強いがプロとして大成するようには思えない」とか、「今はそれほど強いわけではないがプロとして大成する予感を感じさせる…」。そんな判断がなされるようで、大化けする雰囲気というか気配を藤井君は持っていたようです。2015年、藤井君は当時奨励会(プロ養成機関)の二段でしたが、杉本氏はあるインタビューで、「藤井二段は現在12歳で、加藤一二三九段(14歳7ヶ月でプロ入り)や谷川浩司九段(14歳8ヶ月でプロ入り)よりプロになるのが早い可能性もある…」が、「彼がもし棋士になれなかったら、私は責任をとって引退しなければいけないのではないか…」との覚悟を語っています。棋士になるとは、30名からなる三段リーグの上位二名の成績を上げるということです。こればかりは、どんなに才能豊かで有望な少年でも、ここを突破するのは簡単ではないので、杉本氏の見立てと覚悟は相当なものだったことが解ります。
 杉本氏以外の師匠がお弟子さんをどのように指導するのか、詳しくは知りませんので比較はできませんが、杉本氏は将棋の内容に関して「このように指しなさい…」とか、「この指し方はだめだ…」というようなことはほとんど言わなかったと述べています。“師匠なのに弟子に何も教えないのか…”と思われる方がいるかも知れませんが、実は「教えないことで教える」、そんな教え方こそ「教え方の極意」ではないか、と思えることがあります。世界のイチローは、入団後に監督から「その打ち方(振り子打法)を直さない限り一軍では使わない…」と言われてしまいました。その監督は、細かく指導するタイプだったようです。細かな指導とは、言い換えれば「ある種の型に嵌める」という考えです。翌年、監督が仰木監督に代わりこれが大きな転機となりました。仰木監督は打法をいじることはせず、「イチローがどんな成績だろうが一年間一番で使う…」と、シーズン前にインタビューで宣言しました。私はそのインタビューを何気なく聞いていましたが、後から考えると仰木監督の先見性には驚いてしまいます。また、野茂英雄は1989年のドラフト会議で8球団が指名する高い評価を得た上で近鉄に入団しましたが、入団交渉の際に野茂氏はある条件を述べたそうです。それは、「自分の投球フォームを直さないで欲しい…」ということだったようです。仰木監督はそれを受け入れ、野茂氏の好きなように調整させ、好きなように投げさせたと言います。野茂の大活躍は強烈な記憶として残っていますね。しかし、監督が細かな指導をするタイプに変わった途端、成績は下がり大リーグ挑戦を決意したようです。
 スポーツでも習い事でも、表面的で簡単なことは教えることができるのでしょうが、最も奥にある核心的なコツのようなものは、言語化して誰かに伝えることはできないのではないか、そのように思います。言語で認識するのとは別の、自分でしかできない認識方法で会得すべきもの、それを探し出せた人がその道の一流と呼ばれる人間になって行くのではないでしょうか。藤井君が、「将棋の戦術は自分で考えるので細かく指図しないでほしい…」とは、よもや言わなかったでしょうが、杉本氏は直感的に「何も言わないことがベストな指導である」と感じたのではないでしょうか。「名監督が名選手を育てる」との言い方もあれば、「名選手が名監督をつくる」という言い方をされることがあります。その順番は分かりませんが、杉本八段と藤井君は、名伯楽と名棋士のコンビであることは疑う余地がありません。それにしても、杉本氏のいかにも温厚で人柄の良さそうな表情は、見ているだけで気が休まります。
 2018年「弟子・藤井聡太の学び方(PHP研究所)」、2019年「将棋・究極の勝ち方 入玉の極意(マイナビ出版)」で、杉本氏は2年連続将棋ペンクラブ大賞で受賞しました。最初は文芸部門最優秀賞で、2回目は技術部門の大賞でした。「将棋を中心に幅広く文章で発信することが夢だった…」と、杉本氏は語っています。二人でそれぞれ夢を実現しつつある師匠と弟子、本当に名コンビです。あるインタビューで、「藤井君にまだ教えることはありますか…?」との質問に対し、杉本八段は、「将棋のことで教えることはありませんが、私が教えることができるとしたら和服の畳み方くらいでしょうかね~…」と、例の笑顔で答えていました。どこまでも謙虚で愛嬌のある方です。
渥美清を知らない?
9月27日(日)放送の「囲碁フォーカス」で、「厚み強し」との創作四字熟語が紹介されました。囲碁をされない方のために一応説明しておきます。囲碁の戦術に「厚み」という考え方があり、ややスピードが遅いのですが手堅く打ち進めることで「厚み」をつくり、その「厚み」を生かし効果を上げることができる「強み」に期待する戦術です。「厚み強し」は、「渥美清」を捩ったジョークです。が、司会進行役の稲葉かりん二段(20歳)は、渥美清を知らなかったようで、どこにジョークが含まれているのだろうかと、きょとんとしていました。渥美清は、もう20歳のお嬢さんは知らない過去の人になってしまったのでしょうか?「囲碁フォーカス」の創作四字熟語は別の場所で録画し、出演者は本番撮影の時に初めて目(耳)にするようなので、このようなことが起こります。とても面白い一場面でした。そう言えば、ある街頭インタビューで、「羽生善治って誰?」という20代の女性がいました。そんなものなのかも知れませんが、少々驚きました。
女流本因坊戦
第39期囲碁女流本因坊戦五番勝負が始まりました。ハンマー娘・上野本因坊に藤沢立葵杯が挑戦していて、第一局は挑戦者が中押し勝ちで勝利しました。昨年の本因坊戦は、藤沢本因坊にハンマー娘上野さんが挑戦者でした。藤沢本因坊が初戦を取り、第2局・3局・4局と、藤沢本因坊が序盤にリードし後半に挑戦者のハンマーが炸裂するという同じパターンでハンマー娘の3連勝でタイトル奪取という結末でした。タイトルの行方が注目されます。ところで、上野本因坊に挑戦する権利のかかった挑戦者決定戦は、藤沢立葵杯と星合二段の対戦でした。星合二段・藤沢立葵杯・上野本因坊の3人は、プライベートでは大の仲良しで食事などで一緒にいることも多いようです。ファンは3人ともみな応援しているので、3人とも頑張って欲しいです。

その9「上座・下座」
 和室の場合、床の間を背にする側が上座で、床の間が無い部屋では入口から離れた入口が見える側が上座ということになっていて、我々一般の社会でも、目上の方が上座に座るという暗黙のマナーがあります。伝統を重んじる囲碁将棋の世界ですから、「上座・下座」のマナーがあり、それに纏わるエピソードには事欠きません。「どちらに座ろうがそんなものはどうでもいいではないか…」と思うかも知れませんが、とても大事なことなのです。伝統とは端的に言えば“型”の継承ですから、その“型”を軽んじることは囲碁将棋自体を軽んじることになってしまいます。
 対局する場合上位者が上座に座り、下位者が下座に座るのですが、どちらが上位者でどちらが下位者なのか、はっきりしないケースが多く、このマナーの捉え方の違いや上位者下位者の認識の違いから様々なことが起こってきました。囲碁将棋の対局室では、入室するなり「おはようございます…」より先に、「どうぞ、どうぞ…」と上座の譲り合いが始まることは珍しくありません。美しいとも取れますし、やり過ぎではないかとも受け取れる光景ではあります。藤井君は、自分や相手が上座か下座かなどどうでもよく、そんなことで気を遣うより少しでも将棋の奥義に近づきたい、そんな気持ちだと思います。しかし、上座下座に拘泥する棋士や関係者が多くいて、座る席によって心証を害したり憤慨したりする者もいるということをよく理解しているので、自分の中ではどうでも良いことではありますが、座席に拘泥している人たち以上に気を使っているようです。
 今年の9月9日、79期順位戦B級2組4回戦で、藤井君は谷川浩司九段との対戦がありました。すでに2冠となっているものの最年少でもあり(その数日後、藤井君より数カ月年齢が下の棋士が誕生したようです)、本人が考えてもいないような評価をされてしまうことを避けるために、それまで以上に座る場所には気を付けようという意識を持ち、より早めに対局室に入るよう心掛けていました。しかし、入室した途端驚くべき光景が目に入り、将棋以外のことであまり心を乱すことの少ない藤井君の心が珍しく乱れたようです。何と、谷川浩司九段が藤井君より早く入室し、下座を占めていました。一見何でもない光景のようですが、ここに至るまでには長い葛藤があったようです。
 21歳2カ月での名人位獲得は、谷川九段の残してきた戦歴の一つです。将棋の名人位挑戦は、プロ入りしてからどんなに早くても5年はかかる仕組みになっています。5年で名人位を取るには毎年順位戦でほぼ全勝に近い成績を続けなければ挑戦権を得られず、挑戦者となれたとしてもタイトル戦で勝利しなければ名人位は得られません。藤井君も今後順位戦ですべて勝利をすればその記録を塗り替える可能性は残っています。が、どうでしょう、今の藤井君の力に加えて神でも降りてくれば話は別ですが…。それを考えると、はやり谷川氏の記録は飛んでもない記録であることが解ります。タイトル通算27期は、羽生善治、大山康晴、中原誠に続く数であり、将棋連盟の会長を務めるなど、実績もあり将棋界に大きな貢献をしてきた大先輩です。谷川九段が上座を占めようと、おかしいと感じる人は少ないでしょう。
 1983年、第41期名人戦、谷川氏は加藤一二三名人を破り、最年少で名人位に就きました。その直後に、加藤一二三氏と対局する機会があり、会場入りすると加藤氏は上座に平然と座っていました。すでに二冠となっていた谷川名人に対し、加藤氏は無冠です。谷川名人とて座る場所に拘る気持ちは意識していなかったものの、大先輩の加藤氏ではありますが、2冠の自分を差し置いて当たり前のように上座を占めていることに対して、かなりの不快感を抱いたようです。「自分の座る席が無い…」、そのように感じたようです。その記憶が鮮烈に残っている谷川九段が、今度は逆の立場で若い藤井君に不快な思いをさせたくないと考えていました。藤井君が先に入室し下座に座る予定であることは容易に予測できたので、それ以上前に入室し自分が下座を占め、藤井君を上座に据えることを考えての行動だったようです。
 「上座・下座騒動」と言えば、不世出の棋士羽生善治九段が起こした騒動でしょう。1994年、23歳にして4冠を手にしていて、いよいよ名人戦の挑戦者を決めるリーグ戦を戦っている時の出来事でした。挑戦者を決めるリーグでは順位が決まっていて、他にどんなタイトルを持っていようと、そのリーグの順位が上の者が上座ということになっているようです。順位9位の羽生善治は、そのマナーを知ってか知らずか、順位1位の中原誠と順位4位の谷川浩司との対局で、何食わぬ顔で上座に座り周囲の顰蹙を買ったようです。谷川氏と羽生4冠が7勝2敗で並んだプレーオフでも、羽生は上座を譲りませんでした。結局、羽生善治がプレーオフにも勝ち、挑戦手合いでも米長邦雄名人を下し、初めて名人位に就きました。その後、「棋士道に反する」「不遜である」「生意気だ」などの批判に晒された羽生氏は、将棋雑誌に謝罪文を出すことで一件落着となりました。おそらく、誰かにアドヴァイスを受けたのだと思います。上座下座に拘りがないのと同様、謝罪文を出す出さないということにもそれほど拘りがなかったのでしょう。この点では、羽生善治も藤井君と似ていて、将棋以外の煩わしいことはなるべく排除し将棋に集中したいタイプだと思います。上座下座ルールを知らなかったということはなく、そのルールをそれほど重要視しておらず、たまたま座った側が上座だっただけのようです。皆さんはどのようにお感じですか?囲碁将棋のルールやマナーは自然法的なものではなく、人間がつくったルール・マナーの下で行われる儀式・習い事の範疇であると思います。囲碁将棋が伝統としても習い事としても存続し得るのは、型や形式こそ生命線であると思いますが如何でしょうか。
 まだ本題の対局が始まるずっと前から、色んな配慮や駆け引きが始まっているようです。関西在住の棋士と関東在住の棋士が対戦する場合は、下位者が上位者のところまで赴くことになっているようです。藤井君のプロ入り最初の対局は加藤氏でしたが、対局中に加藤氏が食べ物を口にしたのを確認した後で藤井君も食べ物を口にしたエピソードは有名ですね。単なる偶然ではなく、明文化されたルールもマナーも無い中で、藤井君は大先輩の加藤氏に気を使い、敬意を払ったようです。多くの日本人が藤井君を応援したくなるのは、藤井君のそんなところがあるからでしょう。
1500万円の封じ手
 対木村王位とのタイトル戦第4局の封じ手がヤフオクに出品されましたが、9月20日1500万円で落札されました。正直、落札した方はこんな低い価格で落札できると思っておらず、その何倍かの金額は用意していたことでしょう。「8七同飛車成る」の一手は、長い歴史の中で語り継がれて行き、その評価は上がって行くのではないでしょうか。「大方のプロ棋士は、この手を瞬間的に排除する…」、「木村王位を始めとしたほとんどの棋士は当然飛車が逃げると読んでいて…」など、この手に纏わる伝説性は増して行くと思われます。
 そんな藤井君ですが、9月22日、第70期王将挑戦者決定リーグ初戦で羽生善治九段と対戦し、羽生九段が勝利しました。藤井君は羽生九段とこれまで4度対戦しすべて勝利しています。「今までと同じように指していたら絶対に勝てないので、違った指し方をした…」のだそうです。羽生氏は、9月18日には竜王位の挑戦者を決める棋戦でも勝利し挑戦権を得ています。2019年12月、100期目のタイトルをかけたタイトル戦いに敗れ無冠となりました。もうタイトルはおろか、挑戦者になることはないのではないかと思われた方もいたのではないでしょうか。羽生九段の底力には改めて脱帽です。今の勢いですと、羽生九段の100期獲得は十分に起こりえると思います。
囲碁名人戦
芝野虎丸名人に井山裕太三冠が挑戦している名人戦ですが、名人が一つ返し挑戦者の2勝1敗となりました。2局目が名人の大失着で落としてしまい、このままストレートで終わってしまいそうな雰囲気もありましたが、さすが名人です。判らなくなってきました。

その8「未知数」
 2016年、12月、秋の三段リーグを勝ち抜き、藤井君は晴れてプロ棋士として歩みだすことになった直後のインタビューで、その時の気持ちを色紙に書くよう求められた際に、「最強の棋士」と色紙に書きました。プロ棋士としての意気込みを強く感じますが、これは珍しいことではなく、どんな棋士でもプロになり立ての瞬間には、「自分こそが最強の棋士になってやる…」、と大真面目で思うようです。そのくらいの自信が持てないようでは、厳しいプロ試験を通り抜けることはできません。プロになったからには、なり立ての棋士もベテランもなく、すべての棋士が横一線に並んだ状態での勝負になります。しかし、トーナメントプロが将棋では約150人、囲碁では約500人いる中で、目の前の相手に一つ勝利するだけでも簡単ではありません。やはり、プロになりたての中学生が並み居るベテラン勢を相手に勝ち続ける様子を見ると、どうしてそれが可能なのかを考えてしまいます。囲碁も将棋もまだ未開拓だからではないでしょうか。
 「未開拓」と言いましたが、それはどういうことか、場合の数の観点で見てみると、将棋の一局の対局内容は、およそ“10の250乗通り(A)”の可能性があると言われています。1日全国で10000局の将棋が、西暦0年から現在まで毎日指されていると仮定すると、総対局数は10000×365×2020=およそ10の9乗(B)局
となります。(A)の場合の数と(B)の対局数を見比べてみてください。2020年間も毎日毎日10000局が指されていたとしても、将棋の持つ可能性の僅か0.00000…1(小数点と1の間に0が241個)しか行われていない計算になり、まだほとんど何も行われていないような数字になります。勿論、もう少し合理的な計算方法はあると思いますが、未だに無限の可能性があることだけは確かだと思います。
 囲碁の場合はどうでしょうか。将棋は枠が9路×9路ですが、囲碁は19路×19路で、場合の数がグンと上がり、一局の対局内容は、およそ“10の600乗通り(C)”の可能性があると言われています。また、囲碁は世界中でほぼ同じルールで打たれていて歴史も長いので、1日世界中で100万局が3000年間打たれていると仮定すると、総対局数は100万×365×3000=およそ10の12乗(D)局
となります。(C)と(D)を比べても、囲碁の持つ可能性の僅か0.00000…1(小数点と1の間に0が588個)しか行われていない計算になります。この数字はほぼゼロと言ってもよい数字で、まだ何も打たれていないと言ってもいいような数字になります。
将棋も囲碁も、永い年月で似たような内容の対局はあっても、全く同じ対局は無いと言われていますが、それも納得できますね。将棋も囲碁も、まだまだ潜在的な可能性があり、新手や新しい戦法が出てきたとしても全く不思議ではないということになります。故に、若干14~5歳の少年にベテランが叶わないということも起こり得るということになります。というか、むしろそれまでの常識や定形に捕らわれない若い棋士の方が、新手・新戦術を取り入れることに躊躇がないのかも知れません。そして、藤井君と芝野虎丸さんが、14歳でのプロ入り最初の年に8割以上の勝率を生むことが可能になったのかも知れません。藤井君と虎丸さんが若くして最強の棋士になる可能性は十分にあると思いますが、もしそれが可能であるなら、第二第三の藤井君・虎丸さんが突如出現する可能性も十分あると思います。加藤一二三氏は「神武以来の天才」と称され、これ以上の棋士は現れまいと言われていましたが、中原誠が現れ、羽生善治が現れました。羽生善治を越える棋士が早々に現れると考えていた日本人はまさかいないでしょう。また、あまりに可能性がありすぎて、向こう何百年もこの二人を超す少年は現れないかも知れません。
 まあ、とにかく、お二人とも10代でプロの世界のタイトルを手にすることができたのですから、世間から注目され尊敬されて当然でしょう。
徳川家康は将棋の十段?
 「級と段はどちらが上なのか…?」と聞かれることがあります。級は数が少ない方が上で、20級10級5級と少しずつ昇級して行き、1級の壁を越えるといよいよ初段になります。段は数が大きいほど上です。また、負けが込んでくると段級位が下がるのではないかと思っている方も居るようですが、段級位が下がることはありません。アマの最高位は八段でプロの最高位は九段です。十段というのはタイトル名で段位ではありません。現在囲碁では芝野虎丸さんが十段のタイトルを持っています。将棋では現在十段のタイトルはなくなりました。しかし将棋の十段位を持っている人がいます。2012年は、1612年に将棋の大橋家が幕府から家元として認められてから400年の記念すべき年だということで、徳川家康に将棋連盟より十段位が与えられました。日本棋院も、紫式部・信長・秀吉・家康などに、名人でも十段でも、何でもいいですから囲碁の称号を与えてしまえば良いと思います。囲碁を日本に伝えたと言われている吉備真備には、「碁祖」とか「碁神」などの称号は如何でしょうか。ちょっと眉唾ですが、中国で名人を負かしたとの逸話も残っています。
 将棋の場合、プロ棋士になると四段からスタートし、囲碁の場合はプロ棋士として認められると初段からスタートします。プロの段位とアマの段位は全く異なります。アマの八段より、プロの初段の方が数段強いのではないでしょうか(アマチュアのトップの方達はプロと遜色ない方もおられます)。プロの段位は、年数を経て勝ち星を重ねて行くと少しずつ上がって行きます。飛び級の制度があり、タイトルを取ったりするとその時点の段位に関わらず一挙に上がることもありますが、普通は一段ずつ昇段して行きます。しかし、プロの段位はそれまでの実績を表す一つの指標の意味がありますが、その時の実力を表しているものではありません。初段の棋士が九段の棋士に勝利したりすると、「初段が九段に勝った、凄い…」と思う方がいるようですが、それは少し違います。プロになりたての初段と、実績のある九段ではどちらが強いかは、やってみないとわかりませんので、どちらが勝ってもおかしくありませんし、プロになり立ての棋士が大御所に勝利することは全く珍しいことではありません。
囲碁名人戦・NHK杯・藤井君の封じ手
 囲碁は7つのビッグタイトルがあり、勢力図は井山裕太氏が棋聖・本因坊・天元の三冠を、芝野虎丸氏が名人・王座・十段の三冠を、一力遼氏が碁聖のタイトルを持っています。井山裕太三冠は、二度七冠独占を果たし、国民栄誉賞を受けました。井山一強時代がしばらく続くとみられていましたが、昨年芝野プロが井山プロから十代で名人位を奪取し話題になり、その後立て続けに三冠に上り詰めました。一度タイトルを手放すと、挑戦者になるための厳しい決定戦を通過しなければなりませんが、井山三冠は見事名人戦挑戦者の権利を得て、現在芝野名人に挑戦しています。2局が済んでいて、井山挑戦者が2-0でリードしています。どちらが勝っても四冠となり、タイトル争いのトップに立つことになりますので、注目されています。
9月20日(日)、NHK杯囲碁トーナメントで、芝野虎丸名人が登場しますので、どんな方かご覧になって下さい。
囲碁でも将棋でも、「封じ手」という制度があります。2日に渡って行う対局で、初日の最後の着手を用紙に記入し、封筒に入れて誰も見ることができないように保管しておきます。2日目にその封筒を開け、前日に封をした手から対局を再開します。これを「封じ手」と言います。藤井君の2つ目のタイトルとなった木村九段との王位戦の「封じ手」が3通ヤフオクに出品されました。発句(最初の値段)が35000円でしたが、すぐに5000万円になりました。明らかな冷やかし入札が削除され、18日現在で500万くらいに落ち着いています。オークションは終了間際に値が跳ね上がるので、20日(日)夜の終了時に1000万は軽く越えるのではないでしょうか。

その7「孟母三遷」
 何かと話題が尽きない藤井君ですが、どうしたら藤井君のような子供に育てることができるのでしょうか?答えなどあるはずがありませんが、藤井君ウォッチャーとしたら、とても関心があるところだと思います。それについても色々なことが言われていますので、少し見てみることにしましょう。
 藤井君のご両親は、将棋はされないようで、母方の祖父母が孫の遊びにと将棋セットを5歳の夏に買ってあげたようです。祖父母も駒の動かし方を知っている程度の知識だったので、藤井君はすぐに祖父母に勝てるようになり相手にならなくなったので、母と祖母でだれか藤井君の相手をしてくれる人はいないかと探したそうです。すると、同じ瀬戸市内に文本力雄さんという方が主催する、子供将棋教室があったので、そこへ通うことになりました。その際に、文本師範から500ページもある「駒落ち定跡(効率的・常識的な駒の動かし方を教授した書)」を渡されましたが、藤井君はまだ幼稚園生だったので、文字が読めませんでした。そこでお母さんの登場です。将棋の知識がないながら、「駒落ち定跡」の一つ一つをかみ砕いて説明してあげたおかげで、1年後にはすべてマスターしたそうで、その間に20級から4級に進んだようです。将棋だけでなく、CUBOROでも何でも、藤井君が集中して遊んでいる間はなるべく邪魔をしないように、本人が納得するまで遊ばせてあげるよう心掛けたと言います。エジソンやニュートンの伝記に似たような場面が出てきたのを思い出しました。
 以前、西山朋佳さんをご紹介しました。現役慶應大学生にして3つのタイトルホルダー(女王・王将・王座)でもあり、女性初の三段リーグ(プロ認定リーグ)突破に“王手”がかかっているということで、色んなところからインタビューを受けています。すべてに目を通すことはできませんが、どれも大変に参考になる内容です。そんな中で、大変に印象的な話がありました。西山朋佳さんには3つ上の姉である西山静香さんがいますが、その静香さんは囲碁のプロ棋士として一線で活躍しています。ご両親はこの姉妹に、ピアノや水泳を始めとしたあらゆる習い事をさせてあげたそうです。ここまではどこのご家庭でもあることですね。しかし、普通と違っていたことあります。“姉妹で同じ習い事をさせないようにした”ということです。朋佳さんが母親にそれを尋ねると、母親が答えたそうです。
「姉妹(兄弟)が同じことをやると、必ず下の方が上手くなってしまうので、姉妹(兄弟)には同じことをさせないようにした…」
と言うことです。みなさん、いかがお感じですか?そのことの科学的真偽は判りませんが、西山姉妹のお母さまの思慮の深さには脱帽してしまいます。そう言えば、藤井君のお兄さんも藤井君と同じ将棋教室に通っていたことがあり、藤井君の王を取っては泣かせていた時期もあったようです。ピアノ講師をされているようで、長い経験から得た知恵でしょうか。そのお母さまの期待通り、静香さんと朋佳さんは囲碁と将棋の世界でそれぞれの頂点を目指しています。先に妹の朋佳さんがタイトルを手にしたので、今度は姉の静香さんの番ということで、初の姉妹タイトルホルダーにチャレンジしています。
 さて、囲碁界の藤井君とも言える芝野虎丸(とらまる)さんのご家庭も興味深いですね。ご両親と4人兄弟で、上のお姉さん以外の下3人は囲碁関係の方です。虎丸さんの2つ上のお兄さんの龍之介さんは、現役の大学生にして囲碁のプロ棋士です。陸上競技の10種競技に相当する桑名七番勝負[ボードゲームで囲碁(9路)、将棋、チェス、オセロ、連珠(競技五目並べ)、どうぶつしょうぎ、バックギャモンの7種類を同時に行い、先に4勝した方が勝ちになる競技]で世界ランキング1位になっています。妹さんは偏差値75と言われる某女子高に通い、全国高校囲碁大会で個人と団体優勝を果たしていますので、明日にもプロ棋士として脚光を浴びる瞬間が来ても不思議ではありません。4人兄弟の下3人が囲碁界で活躍していますが、一番上のお姉さんは特に囲碁に入っていくことはなく普通の学生生活を送っているようです。囲碁に時間とエネルギーを注ぐことがなかったようなので、東大で勉強しているそうです。さて、囲碁界で最年少記録をことごとく塗り替えている虎丸さんですが、ご両親や兄弟のきらめくような学歴とは対照的に中学卒ですし、中学校の成績も1と2ばかりだったと言います(本人曰く)。14歳(中学2年)でプロ入りし、初年度の成績が39勝9敗(勝率82%)ですから、学校へ通う時間も惜しむように頑張ったのだと思います。勝率82%という数字がどんな意味を持つかは藤井君のところでお話した通りです。中学校では欠席も多く、大事な対局や囲碁の研究のために登校しても午前中で帰って来たと言います。囲碁界では3つのタイトルホルダーですし、あの井山裕太三冠と肩を並べる実力棋士となった今となってみたら、惨めな成績の中卒も大いに意味があったと言うことができます。問題は、家族全員が高学歴ハイキャリアというなかで、虎丸さんのような状況を見守るだけの余裕が持てるかどうかということです。「プロになれなかったらどうするんだ…」などと、どうしても干渉したくなるのが人情でしょうが、本人も家族も虎丸さんの可能性を信じ、虎丸さんの望むような時間の使い方を許したことが結果的には良かったのだと思います。簡単なようで、なかなかできないのではないでしょうか。
 3通りのご家族を紹介させていただきましたが、両親が特別変わったことをしたかというとそうでもなさそうです。共通している点と言えば、「子供に多くの選択肢を与えてあげている」ことだと思います。幼少から本人の適正をズバリ見分けることは難しいでしょうから、とにかく健全な選択肢をいくつか与え、適正を見極めながら進路を決定して行くことが理想なのでしょう。また、子供だけでなく、ご両親もそれなりに努力と工夫を惜しまず、楽しみながら子供と一緒に成長して行くことのできる家庭環境に気を配ったのだと思います。やはり応援したくなりますね。
囲碁と将棋の終わり方
 将棋では相手の王(ぎょく)を取り上げてしまうことはなく、自分の王(ぎょく)が逃げられないと判断した際に、丁寧に礼をしながら「負けました!」と宣言することで終了します。「負けました!」とは少し表現が辛辣すぎるような気がしていますが、いかがお感じですか?実際の対局を見ると、胡坐をかいていたのを正座に直したり、スーツを着るなど服装を整えた上で終わりを宣言しています。勝負を投げ出すことで終了するので、「投了」といいます。例えば、「後手が87手で投了…」などと表現します。囲碁の場合は、将棋と同様に負けた側が投了して終わることもありますし、最後まで打ち切り陣地を数えて終わることもあります。囲碁の場合も、投了する際のマナーがあります。礼をするのは同じですが、「負けました」とは言わずに、「ありません!」と言います。「ありません」とは、「もうこれ以上対抗する手段がありません…」との意味で、こちらの表現の方が「負けました」より柔らかく、品が良いような気がします。また、言葉を発せず、相手から取り上げた石(揚げ浜)を盤上のどこかにそっと置くことで負けを認めることもあります。柔道の締め技を受けてしまって「まいった」をする際に、相手の肩や床を軽く叩くことで意思表示をするのと同じです。

その6「先手と後手」
 8月19・20日、王位戦第4局も藤井君の凄さだけが目立つ対局でした。このシリーズは、4-1か4-2で藤井君が勝利し、藤井君が負けることはないと考えていました。理由は簡単です。木村九段は、「千駄ヶ谷の受け士」との異名で、「生半可な攻めでは崩せない…」というのが持ち味です。藤井君の攻めは生半可ではなく、正確無比な読みで相手の王を詰んで行きますので、序盤に極端に不利な形にならない限り、負けてしまう可能性はかなり低いと考えられるからです。それにしても4-0は予想外(望外)でした。ワイドショーやNHKでだいぶ話題になっていましたね。しかし、そこでは「強い」とか「凄い」という表現ばかりで、「どうして経験の浅い10代の少年が、経験の長い先輩たちを負かしてしまうようなことが可能になったのか…」については殆ど語られていませんでした。囲碁も将棋も未開拓な部分が多く、経験が少ないからこそ従来の定説に捕らわれる度合いが小さく、その未開な部分に気軽に踏み込んで行けたのだということが言えるのではないかと考えています。
 囲碁も将棋も二人が交互に打つ(指す)のですが、どちらが最初に打つ(指す)かは、トスで決めます。将棋では「振り駒」、囲碁では「にぎり」と呼ぶ独特のトスを行います。将棋の場合は先手がやや有利で、勝率もごく僅かに勝っているようですが、何らかのハンデをつけるほどの差ではないので、ハンデはありません。囲碁の場合、先手がはっきりと有利で、ハンデをつけないと後手(白番)が不利になってしまいますので、ハンデをつけています。囲碁のハンデを“コミ”と呼んでいます。おそらく、見込の省略だと思います。今は、6目半(6.5ポイント)のコミがあるので、対局が終了しお互いの陣地を数える際に、白番には6目半をプラスして計算します。6目でも7目でもなく、6目半という少数の入ったハンデは、黒番と白番の陣地の数が全く同じにならないような工夫です。囲碁も将棋も、先手はその対局の陣形をある程度決めることができるメリットがあるので、どちらか好きに選ぶことができるとしたら、どの棋士も先手を選ぶでしょう。だからと言って、先手番が有利で後手番が不利かというと、決してそうでもなく、勝率は五分五分のようです。50%の確率で自分が後手番になるのですから、後手番になった時の戦い方は研究されています。また、どちらが先に着手するかとは別に、対局が進行した中での“先手・後手”という観点があります。これは大変に高度な理解を要するので別の機会にしますが、囲碁将棋をされない方でも、“先手を打つ”や“後手に回る”などと、日常会話のなかで使いますよね。
 さて、昨今は対局の際にマスクをつけての対局となっています。マスクの色の規定はないようですが、白が最も多く次いで黒のマスクつけている棋士が多いようです。将棋の場合白黒はありませんが、囲碁は正に“黒白(こくびゃく)をつける”ゲームですので、マスクの色と石の色で面白いことがおこります。黒石を持つ棋士が黒マスクで、白石を持つ棋士が白マスクということもありますし、逆に写真2のように黒石を持つ棋士が白マスク、白石を持つ棋士が黒マスクということもよく起こります。派手な色や模様のマスクをつけた棋士は今のところいないようですが、誰が最初にそれをやるのかは注目です。藤井君は、だいたい白のマスクを着けていますね。藤井君は、年齢の割には本物志向のようで、使っているマスクは福井県の織物業者(小杉織物)がデッドストックとなっていた浴衣帯の生地で作ったものと伝わっています。どうして藤井君が小杉織物のマスクをつけるに至ったかは伝わっていません。絹製のマスクの優れていることを見抜いた上での選択なら、物に対する評価眼も一流ですね。
 ところで、将棋の棋士は囲碁が大好きで、囲碁の棋士も将棋が大好きだと言われています。囲碁の名人戦が行われていますが、第一局が行われていた控室で、囲碁の名誉名人の称号を持つ趙治勲と将棋の渡辺明三冠が、囲碁と将棋を同時並行で楽しんでいる映像が伝わりました(最後の写真)。違う分野ですが、共通する考え方とか手順があり、それぞれが勉強にもなりリフレッシュにもなるのだと思います。囲碁将棋ファンとしたら、何とも豪華な組み合わせであり、滅多に見られない対局ということで嬉しい限りです。同時に、こんな忙しいさなかにも勝敗を離れ純粋に囲碁将棋を楽しむ光景は、何とも微笑ましいと感じます。

その5「孝行息子」
 藤井君や虎丸さんは文句がつけようのない孝行息子ですが、今日は、もう一人の孝行息子を紹介させていただきます。一力遼(いちりきりょう)さんという棋士です。この8月14日(金)に、囲碁の七大タイトルの一つである「碁聖」位を獲得しました。これは普通のタイトル奪取と異なり、大変に珍しいタイトル獲得であり、一種の孝行話でもあります。
 一力遼さんは、宮城県仙台市の出身です。宮城県を中心とした東北地方に購読者を持つ河北(かほく)新報という地方紙(1897年、 一力健治郎により創刊)があり、その創業家の大事な大事な跡取りの一人息子として、親族の期待を一身に背負う環境に生まれました。5歳の時、祖父の一力一夫氏から囲碁の手ほどきを受け、めきめきと腕を上げて行きました。本格的に碁の修行をしたいと考えるまでに腕を上げた一力さんは、母親と二人で東京に転居することになりました。東京へ囲碁の修行に出て来る際に、父親とある約束をしました。「囲碁の勉強もいいし、首尾よくプロ棋士にチャレンジできるようならチャレンジしてもよろしい。だが、大学だけは出ておくように…」、という約束です。父親との約束通り、中学高校は都立白鴎中・高等学校へ進学しました。因みに都立白鴎は都立初の中高一貫校として大変に人気があり、誰でも簡単に入れる学校ではありません。13歳の中2の時に難関のプロ試験を通過しました。一力さんの囲碁の才能はプロ入り前から評判で、早くから天才と呼ばれ早晩にタイトルを取るだろうと目されていました。期待に違わず、新人王戦をはじめとした若手対象のタイトルを直ぐに手にしました。しかし、七大タイトルの挑戦権を得ること5度もありましたが、どうしても七大タイトルには手が届きません。この間、生真面目な一力さんは、学校の勉強も手を抜くことなく、父親との約束通り、この春に早稲田大学を卒業しました。学業とタイトルをかけた大事な対局のやりくりが何とも大変だったようです。地方での対局や、プロ棋士としての仕事は色々とあるものですが、次の日の授業の準備は手を抜かず、仲間が街に繰り出しても自分が置かれている学生としての立場を忘れず、囲碁と大学の勉学に精進したようです。
 2020年、4月1日、驚きのニュースが入りました。最初は、エイプリルフールのジョークかと思ったくらいです。一力遼プロが、河北新報社の記者として就職したという知らせです。七大タイトルこそ手にしていませんが、レイティングと言って各棋戦の成績を点数化し、ランク付けをするシステムがあり、そのレイティングでは井山裕太三冠でも芝野虎丸三冠でもなく、一力遼プロが無冠ながら一位をキープしていました。囲碁棋士の賞金ランキングでも2016年から昨年までの4年間はベストスリーに入っています。一力プロクラスの一流プロがどこかの会社に就職するという例はありません。はじめから家族との約束があったのか、コロナの影響で先行きが不透明であることが切っ掛けだったのか、それは伝わっていません。どなたか知っている方がいたら教えていただけないでしょうか。
 さて、囲碁将棋タイトルの賞金はどこから出るのでしょうか?ゴルフの賞金と同じで、タイトルにはスポンサーが付き、そのスポンサーから賞金が支払われます。囲碁のスポンサーの業種は多岐に渡っていますが、棋譜を自社の新聞に掲載できるなどのメリットもあり、各新聞社が主なスポンサーとなっています。河北新報社も、共同ですが七大タイトルの一つである、「碁聖」のスポンサーに名を連ねています。もうお分かりですね。河北新報社がスポンサーとなっている囲碁のタイトル戦で、自社の記者である一力遼プロがタイトルを手にしたことになります。また、大学卒で七大タイトルを取った棋士は二人目ということになりました。錦を飾った息子の快挙に、社長であり父親である一力雅彦氏は、涙が出るほど嬉しかったことでしょう。こんな形の親孝行もあるものなのですね。東京での勉強と、囲碁を通して築き上げて来た人脈は、いずれ会社を継ぐことになった際には大いに役に立つでしょうから、長きに渡り一力遼氏が河北新報社“中興の祖”として社誌を飾るのではないでしょうか。一力新碁聖に囲碁を教えた亡き祖父の一力一夫氏(~2014)も、天国で嬉し泣きされていることでしょう。
 2017年、地元宮城で行われたあるイベントで、抽選に当たり一力プロから、そして翌日には一力プロの師匠である宋光復プロからも指導碁を受ける機会がありました。本当にお二人とも誠実で人当たりが柔らかく、囲碁以外でも色んなことを教えて頂きたいような方たちでした。今月14日の、碁聖獲得の記者会見には、師匠の宋プロもお祝いに駆け付け、師弟二人が感慨に耽る場面は胸を打つものがあり、私も直接お会いして心からお祝いを述べたい気もちでした。師匠の宋プロは、一力新碁聖のご家族から「20歳になるまでには七大タイトルのどれかは取れますよ…」と言って一力新碁聖を預かって来たようです。それは、大風呂敷でも何でもなく、誰もがそう考えていました。あと一歩のところでタイトルに手が届かず、焦る気持ちもあったでしょうから、余計に嬉しかったと思います。もう「無冠の天才」ではなく、正真正銘の天才です。
藤井君情報
 藤井君は、現在木村一基氏が持つ「王位」をかけたタイトル戦を行っています。7番勝負の4勝した方が勝ちで、現在挑戦者の藤井君が3勝0敗で、「王手」をかけています。第4局が、この19・20日に行われ、20日木曜の夜には「最年少二冠…」「最年少・最速八段昇段…」などのニュースが流れるかもしれません。進行中の歴史であると言えると思います。
 22日(土)14:00~15:00 Eテレにて、「藤井聡太・驚異の強さ」との番組が放送されます。もう、「王位」のタイトルを取るであろうという前提で、この日に番組を組んでいるのかと考えてしまうようなタイミングですね。

その4「玉(ぎょく)」
ハンマー娘・上野愛咲美さん
8月16日(日)12:30~14:00「NHK杯囲碁トーナメント」に、上野愛咲美(あさみ)女流本因坊が登場します。まだ19歳の可愛らしいお嬢さんですが、本因坊のタイトルホルダーです。大きなハンマーをぶんぶん振り回しながら相手に迫ってくるような棋風なので、このニックネームで呼ばれています。そのハンマーの一撃で倒されたベテラン勢は数知れず、1Rも大ベテランの三村九段を倒して2Rに勝ち上がって来ました。囲碁ファン注目の一戦です。
 さて、藤井君は、小さかい頃から将棋に夢中だったことは確かでしょうが、他にどんなことで遊んでいたのでしょうか。色々と伝わっています。
1、 CUBORO 2、プラレールと鉄道 3、メイクテン 4、ハートバックつくり
5、ボール遊び 6、迷路つくり 7木登り  など
CUBOROは3枚目の写真の、木製のレゴのようなおもちゃで、イタリアで開発された幼児向けのオモチャです。藤井君が小さい頃に遊んでいたということが伝わると、全国のオモチャ屋さんからCUBOROがあっと言う間に消えたと言います。2はその後の鉄道の趣味に続いて行きます。通っている学校では同じ鉄道ファンの友人とよく談笑しているようです。3はいかにも藤井君らしい遊びですね。4桁の数字を一桁の数字とみなし、これに四則演算などを用いて10をつくる遊びです。切符の番号や車のナンバーなどでの短時間の遊びに利用されています。前回の東京オリンピックは1964年でしたから、1964をテンパズルで処理すると6-4-1+9=10ということになります。これなら、いつでもどこでも遊ぶことができますね。4は、紙でハート型の手提げのような袋をつくる遊びで、100以上の藤井君作のハートバッグが残っているようです。5,6,7はどこのお子さんもやる普通の遊びです。これらに共通しているのは、頭を使い、比較的どこでも遊べて、クリエイティブな思考を楽しむ、そんなところでしょうか。変わったところでは、小学生の頃に「尖閣諸島問題、南海トラフ地震、原発」に興味があったと答えています。また、読書好きで百田尚樹の「海賊とよばれた男」なども面白かった本として伝わっています。「5億円持っていたら?」の質問に「積み上げて天井まで届くか実験する」と答えたようです。各地の積雪量をチェックすることを楽しんでいることも有名です。足がとても速く50M走は6秒台だそうで、将棋界で足が一番早いことは確かなようです。東京オリンピックの聖火ランナーにも選ばれていたようです。芸能人で好きな人を尋ねられると、差し障りがあると考えているのか、なかなか答えてくれないようですが、唯一タモリの名前だけが上がっています。“ぶらタモリ”などを見ていると、決してメジャーではなく誰もが目を向ける分野ではないが、とても楽しめる要素が詰まっている分野に関心を向けています。タモリの視点が藤井君の知的好奇心を刺激していることには納得が行きます。「王位戦」では藤井君の3連勝中ですが、第3局は有馬温泉で行われましたが、温泉が大好きな藤井君は、対局の傍ら温泉も大いに楽しんだやに伝わっています。
 子供の頃からの趣味や遊びを紹介いたしましたが、藤井君らしいといえば藤井君らしいですね。しかし、驚くほど特殊なものでもありませんし、これらで遊ぶ子供は全国にたくさんいると思います。が、藤井君の場合はどの遊びも目の前の遊びに集中し、それなりに頭を使って深めたようです。その集中力たるや、並みの子供の集中力ではなかったようです。CUBUROにしてもハートバッグをつくるにしても、それなりに要領とかコツはあるでしょうから、自分なりに法則性を探り、自分なりのやり方を模索して行き深めて行く。そして、そのプロセス自体を楽しむことができる、そんな子供だったようです。お子さんがいるいないに関わらず、大いに参考になり、我々大人も藤井少年から学ぶことが沢山ありますね。
 さて、前回、将棋を「王将(おうしょう)の駒を取りあうゲームである」と述べましたが、将棋の世界で王将を“おうしょう”と言う習慣はなく、“ぎょく”と呼んでいます。王将の駒は2枚あり、片方の駒は「王将(王)」でもう片方の駒は「玉将(玉)」と言う字が書かれていますが、どちらの駒も“ぎょく”と呼びます。2枚とも「王将(王)」でも良さそうなものですが、「天に二日なく、地に二王なし」との思想から、別にしているようです。上手(後手)が「王将」を持ち、下手(先手)が「玉将」を持つ習慣ですから、将棋の世界では「玉」より「王」の方が上なのでしょうか。因みに囲碁では上手(うわて)が白石を持ち、下手(したて)が黒石を持つことになっています。玉(ぎょく)という日本語はとても面白い言葉だと思います。辞書的な意味として、「天子に関する事物に関して用いる語(広辞苑)」との説明が見えます。「玉座」「玉体」「玉砕」などの言葉を普段でも使いますし、何と言っても敗戦を国民に告げる昭和天皇の声を「玉音」と言いますね。このように、「最高位の」とか「侵さざるべき高位の」との意味のようです。
「将棋は一度もやったことはない…」と言う方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなことはなく、広義の将棋ゲームに国民全員は参加していると言えなくもありません。日本には面白いルールが続いていて、「玉(ぎょく・天皇)」を支配下に置いた者が天下国家を運営する資格を持つという暗黙のルールがあり、そこだけはどんな乱暴者や無法者でも壊すことはしませんでした。天皇は京都に住むということになっていましたから、戦国時代などは、京都を制した者が天下を制するルールになっていました。故に、戦国武将は常に「上洛(京都支配)」を意識していました。幕末になると、そのルールは拡大解釈され、天皇(ぎょく)がどこに居ようと「ぎょく」を支配下に置いた者が勝ちだということで、露骨に「ぎょく」を拉致したり奪い合うゲームが繰り広げられ、最終的に薩長岩倉グループが「ぎょく」をコントロール下に置くことに成功したので、薩長岩倉グループを中心に明治国家ができました。天皇を「侵さざるべき絶対のご神体」のような存在にしたのは、旧体制から明治新政府にスムーズに移行するための仕掛けで、薩長岩倉グループはそれまで、そしてそれ以後も天皇(ぎょく)をまるで将棋の駒くらいに扱っていました。日本人は、「ぎょく」の争奪戦の延長線上で生活しているので、無意識のうちに将棋ゲームに参加して来たと言うことができると思います。
 囲碁はというと、歴史上の武将や有名人は、基本的な教養としてほぼ例外なく囲碁を嗜んだようです。古くは紫式部・清少納言などの文化人が、戦国時代には信長・秀吉・家康などの武将や僧侶のような知識層は皆囲碁を打ちました。娯楽としてだけではなく、人的ネットワークつくりにもなっていましたし、駆け引きなどの戦術的疑似体験としても必修科目でした。歌舞伎の白波五人男では、「…碁打ちと言っては関所を通り…」の台詞が有名ですが、「誰それと碁を打ちに行く…」ということで、厳しい関所を通ることが出来たようです。囲碁にまつわる名場面も多いのですが、別の機会に紹介いたします。

その3「驚異的数字」

 82日、NHK将棋の藤井君は強かったですね。藤井君の相手の塚田氏は過去に「王座」のタイトルを取っています。また、名人戦の挑戦者を決めるA級リーグに1度でも入ればもうそれだけで一流と見做されますが、塚田氏は通算7A級リーグに入っています。塚田氏はもうすでにトップ棋士なのですが、その塚田氏を相手に藤井君は横綱相撲を見せました。塚田氏は前半から果敢に仕掛け藤井君の王に迫りますが、攻めあぐね、手が藤井君に回ると、もうそこからは一直線に終局でした。2回戦の相手は、現在「王位」のタイトル戦を戦っている木村一基王位で、大変いに楽しみです。

 藤井君、相変わらず活躍していますね。「活躍している」とはやや漠然とした表現なので、数字でその活躍を見てみることにしましょう。プロ棋士になるには大変な高い壁があり、その高い壁を越えることができた、選りすぐられた才能の持ち主しかプロ棋士にはなることはできませんので、プロ棋士はだれもが紙一重のところの勝負で凌ぎを削っています。従って、勝ち負けの数が半々なら上出来で、一つでも勝ち越すことができれば大成功なのです。相撲でもそうですね、勝ち越すことを“給金直し”などと言ったりしますが、囲碁将棋の世界でもその年度で一つでも勝ち越すことができれば万々歳なのです。

 藤井君の対戦成績を見てみましょう。2016年度は加藤一二三(ヒフミン)との対局が一局あっただけでそれに勝利しましたので勝率は100%ということになります。ま、これは参考記録といった感じですね。

2017年度は83.6%、 2018年度84.9%2019年度80.3%

この数字がどんなものかピンと来ない方もいらっしゃるかも知れませんが、年間で勝率8割を超える棋士は毎年一人出るかでないかの数字で、10回の対局で8回以上勝つ訳ですから、これは驚異的と言うしかありません。「こんな数字を生涯1回でも出してみたいものである…」、NHK杯解説者の谷川浩司氏は番組の中で述べていました。プロになり立ては強い棋士と当たることが少ないので勝率が高いのではないかと思われるかも知れませんが、タイトル戦や強豪棋士との対局が続く今年度も87%の勝率をあげています。

年度ではなく通算の勝率で見てみましょう。

通算勝率 184.16%(藤井君)270.47%(羽生善治) 360.53%(谷川浩司)

藤井君の場合、対局数がまだ少ないので単純比較はできませんが、それでもぶっちぎりの一位です。連勝記録はご存じの29連勝ですね。それまでは屋敷九段の28連勝でしたが、それはプロに入って何局かを経験し、プロの水に慣れ勢いがついてからの連勝記録でした。藤井君の場合はプロに入って無傷のままの29連勝ですから、囲碁将棋ファンでなくともワクワクして当然ですね。まだプロ入りして4年ですが、この勢いがどこまで続くのか大変興味深く目が離せません。こんな勝率が続くようなら色んな影響が出て来るでしょうから、そちらが心配になります。そのくらい凄い数字を叩き出しているのです。

 20164月~9月にかけて、第52回将棋奨励会三段リーグ(プロ最終試験)を勝ち抜き藤井君はプロの資格を得ることになりました。年に二回、三段の棋士30名がリーグ戦を行い、上位2名がプロの資格を得ることができるシステムです。最終戦を前に藤君は125敗で、最終局の結果次第ではプロになれるかなれないかの瀬戸際です。最終戦に見事勝利し、135敗で見事トップ通過となりましたが、その最後の対局相手が西山朋佳さんという方です。みなさん、この西山朋佳さんという方を是非チェックしておいて下さい。将棋界では男性と同じ基準のプロ試験にチャレンジした方は何人かいましたが、未だにプロ試験(三段リーグ)を通過した方は表れていません。しかし、通過一歩手前まで西山朋佳さんが迫っています。直近の三段リーグで「女性初の…」との期待が高まりましたが、惜しくも第三位で通過はなりませんでした。成績は144敗でしたので、藤井君の135敗より上の成績でしたから、プロ入りしていたら藤井君並みの活躍をしてもおかしくありません。現在、最新の三段リーグが進行中で、暫定的ですが73敗でトップを走っています。この9月には全国紙の一面を賑わして欲しいですね。その西山朋佳さんが、88日(日)NHK将棋トーナメントに登場します。是非、ご覧ください。

 さて、「将棋は覚え易いが、囲碁は覚えにくい…」と言われることがありますが、そんなことはなく、囲碁のルールは3つしかありません。

 

1、       二人が1回づつ順番に石を盤上に置く

2、       線が交差している点に石を置き、すでに石が置いてあるところには置けない

3、       石を置くとろがなくなるまで打ち、陣地を多く取った方が勝ち

 

この3つだけです。この3つならどなたもすぐに理解できますね。道具はどうにでもなります。チェス盤でもいいですし、紙に線を引けばそれで碁盤になります。碁石は100均で売っているゲーム用のチップでもいいですし、それこそ何でも代用できます。今は、無料アプリがありますから、すぐにでも始められます。「パンダネット(囲碁無料アプリ)」、「ポケット囲碁」、「みんなの囲碁」などです。1分ほどでインストールすることができ、すぐに対局できますので、是非1度試してみて下さい。


その2「天才少年」
8月2日(日)10:30~12:00 Eテレ「NHK杯将棋トーナメント」で藤井君が登場します!早指し将棋(持ち時間なし)ですから、長考の際に目をつむったり、脇息に頭を持たれかけるなどの独特の藤井ポーズは見られないかもしれませんが、藤井君の表情を見るだけでも楽しめそうです。勝利が見えると、おもむろにお茶を啜ることをすることもあるので、それは見られるかもしれません。終盤に、藤井君がお茶を啜ったら終局が近いサインかも知れませんので、お楽しみに!
藤井君は、2007年夏、5歳の時に母方の祖父母から将棋を教わり、その秋には祖父は歯が立たないくらい、瞬く間に入門期の基本戦術をマスターしてしまったようです。同年12月に、瀬戸市内の将棋教室に入会し、その際に師範から500ページもある「駒落ち定跡(効率的・常識的な駒の動かし方を教授した書)」を渡され、まだ読み書きができなかったにも関わらず1年後には完全に理解・記憶してしまったそうです。確かに天才少年には間違いありませんが、囲碁・将棋の世界ではこのレベルの天才少年少女は、案外全国の都道府県に現れるもののようです。しかし、その若き天才の中から藤井君のように抜け出すことができるのは、ほんのごく僅かですから、そこを分けるものは何なのでしょうか?
みなさんもよくご存じだと思いますが、小さい頃の藤井君は将棋に敗れてしまうと、周囲が心配になるくらいに激しく悔しがったと言います。しかし、藤井君が周囲の目も憚らずに悔しがったエネルギーをぶつけたのは、自分を負かした相手ではなく、自分自身でした。目の前の局面を打開する正しい解決策をみつけることができなかった自分を、子供ながらに不甲斐ないと感じ、それに対して悔しい気持ちが起こったようです。
2010年、小学2年の時にあるイベントで、すでに第一人者として活躍していた谷川浩司氏に二枚落ち(飛車角落ちのハンデ戦)で指導対局を受けた時のことです。途中、谷川氏の勝勢となったため、谷川氏は藤井君のプライドに免じ、「時間がないので引き分けにしてもらえないか…」と持ち掛けたが、藤井君はそれに応じず猛烈に泣き出してしまいました。たまたま居合わせた後の師匠となる杉本昌隆プロが取りなしても事態は収まらず、母親が割って入りなだめることで何とか収まったと言います。“悔しがる力”が他の天才少年少女より並外れていたようでした。“悔しがる力”は“向上心”とか“探求心”と言いかえることができます。やはり、藤井君は向上心・探求心が、“普通の天才少年少女”より並外れていたようです。これは有名なエピソードで、谷川氏本人がテレビやインタビューで何度か紹介しています。谷川氏が勝勢だとした判断は果たして正しく、藤井少年は単に駄々をこねていただけだったのでしょうか。藤井君にしてみたら、「冗談ではない、その先を打ち進めていたら自分が勝利していたのだ…」と判断していたのかも知れません。おそらく谷川氏の判断は正しかったのでしょうが、それはその時点の旧来から伝わる判断基準であり、何十年何百年の間正しいとされていた基準を若干十代の青年が覆してしまっている現状を見ると、ひょっとしたら藤井君の方の読みが深かったのではないかと思えてきます。そして、2019年9月、藤井君はその谷川氏とプロになって初めて対局することになり、57手で勝利していますので、9年前の決着をつけたことになります。
将棋と囲碁のルール…将棋は、相手の「王将(おうしょう)」の駒を取ってしまえばそれでお終いですので、直線的と言えば直線的なゲームです。実際には、王将を取り上げてしまうことはせず、王将が逃げることができなくなり、そのことを認めた時点で対局は終了します。従って、負けた側が終わりを宣言することになります。囲碁は3枚目の写真にあるように、線が交差している点を1つの地として数え、より多く陣地を取った側が勝利となります。この写真の勝負では、黒の陣地が16で、白の陣地が19なので、白の勝利ということになります。この様に地を石で囲み合うので“囲碁”と言います。途中で勝敗がはっきりしている場合は、将棋と同様負けた側が負けを認めることで終わりになることも多いのですが、数の勝負なので最後までやってみないと勝敗が分からない場合も多く、最後にお互いの陣地を数えて初めて勝ち負けが決まることも多くあります。

その1「戴冠」
2020年(令和2年)、7月16日(木)は、囲碁将棋ファンのみならず、日本じゅうのだれもが歓喜した記念すべき日となりました。将棋のプロ棋士である藤井聡太(当時)七段が将棋のメジャータイトルの一つである棋聖位を獲得しました。囲碁将棋をほとんど知らない人も、藤井君のタイトル奪取を、まるで自分の家族の出来事のように喜びました。コロナ禍で何かとネガティブなニュースが多い中でのことで、より一層日本人の気持ちがこのことで沸き立っているようです。確かに素晴らしいことであることには間違いないのですが、囲碁将棋界にはもっともっと楽しめたり興味が持てる要素はあるのではないかと思い、この連載をはじめました。囲碁将棋について今まであまり関心がなかった方を想定してこれを書いています。囲碁将棋に精通している方は物足りない内容かと思います。間違えや追加のご意見・説明・質問、その他気がついたことがございましたら、遠慮なくコメントを頂けると有難いです。これを機会に、今まで囲碁将棋に関心がなかった方々に、感心を持っていただけると嬉しいです。withコロナの時代に、囲碁将棋を趣味の一つに加えて頂くのはいかがでしょうか?
 インタビューなどでは、はにかみながら、そして少しおどおどした様子を見せながら受け答えをする、どこにでもいそうな高校生です。それでいて、最年少でプロ入りを果たし、最年少のタイトルホルダーとなる、など数々の記録を更新する偉業を成し遂げています。藤井君を心から応援している人々は、自信家としての彼や、タイトルをいくら取ろうが大家としての彼を望んでおらず、飽くまで謙虚で自制心をもった少年らしい清々しさを喜んでいるのだと感じるので、敢えて藤井君と呼ぶことにさせていただきます。
藤井君が14歳でプロ試験を突破し18歳直前の17歳のうちにタイトルホルダーとなったことに、日本じゅうが敬意の籠った驚きを見せているのではないでしょうか。その上、謙虚さや礼儀を保つ人間性が日本中を彼の応援に駆り立てているのだと思います。「若い才能」と「謙虚さ」という点では、囲碁界にも藤井君と大変に似たポジションの芝野虎丸(とらまる)さんと言う方がおりますので是非紹介させていただきます。
芝野虎丸…2014年14歳でプロ入り、2019年プロ入りから4年11か月(最速)で名人戦の挑戦者となり、挑戦手合いで張名人を破り19歳11か月(最年少)で七大タイトルの一つである名人位を獲得。現在20歳7カ月で、名人・王座・十段の三冠の保持者です。
七つあるタイトルをすべて手にした井山裕太氏は国民栄誉賞を授与されましたが、三冠を取ったのは23歳1か月で、プロ入りから10年3か月かかりました。芝野三冠は、プロ入り5年9か月での達成ですから、一挙に短縮したことになります。この6月26日のことでした。三冠達成のインタビューで、「歳も近いし、藤井さんのダブルタイトル(棋聖・王位)挑戦のニュースは励みになった。自分も負けていられない…」と答え、藤井君がタイトルを獲得した際には、「藤井先生、おめでとうございます」と祝意を述べています。若くして偉業を成し遂げた芝野さんですが、近寄り難さのような雰囲気は全く無く、相手がだれであろうと話しかければジョーク交じりに気軽に応じてくれる、何とも気持ちの良い青年で、誰からも愛されています。因みに、二つ上の兄の芝野龍之介さんもプロ棋士で、兄弟でタイトルを争う龍虎対決を囲碁ファンは待ち望んでいます。
囲碁将棋のレギュラー番組・地上デジタルEテレにて毎週日曜日 
10:00~10:30将棋フォーカス(将棋初中級講座と将棋情報の番組)
10:30~12:00NHK杯将棋トーナメント(実際のプロの対局)
12:00~12:30囲碁フォーカス(囲碁初中級講座と囲碁情報の番組)
12:30~14:00NHK杯囲碁トーナメント(実際のプロの対局)