アンティーク・文化

「道具が進歩するのに比例(反比例)して人間は不器用になって行く」と言われています。かつては、草深い山奥の農家で、学校にも行っていない4つ5つの子供ですら普通にやっていたことを、高校の授業でハイテク機器を使って教えていたりすることもあります。現代のようにデジタル数値を通して物事を測ったり、ちょっとした不具合を複雑な機械で修理したりせず、自分の感覚で度合いを体感したり、バランスを調整するようなことで使うことで直していました。 電気や複雑な仕掛けではない、どこにでもあるようなシンプルな道具を見て行こうという企画です。 どこにでもあり、代用しようと思えばいくらでも代用がきくような道具は、身の回りから無くなりつつあります。無くなってしまっても特に不便ではないが、探そうと思ってもどこにもない、そんな、市や町の民俗資料館に置いてあるような道具を紹介して行く新しいシリーズです。
自分でも、自宅のどこにどれだけのアンティーク・雑貨がストックされているのか、全貌を掴んでいないのですが、時間を見つけて少しづつ整理したいと思ってこのシリーズを始めました。第一回目は七宝焼と七宝繋ぎ模様です。
スケジュール帳や単なるメモ帳など、何かと手帳をお使いだと思います。手帳を選ぶ際に、中身の次に重要視するのが表紙のデザインですね。しかし、表紙のデザインは全くどうでもよい100円ショップのノートに、自分の好きなデザインを合わせるだけで、オリジナルノートができてしまいます。
近江古社寺巡礼①  油日(あぶらひ)神社と櫟野寺(らくやじ) かくれ里・・・白洲正子は、白洲次郎のパートナーであり、女性として初めて能舞台に立つなど、何かと話題が豊富な随筆家です。町田の古民家で骨董収集に没頭する傍ら、かくれ里の取材に各地を駆け回り、かくれ里ブームを起こす。昭和30年代後半から40年代、東京オリンピックや新幹線を始めとした高度経済成長に浮かれる世情をよそ眼に、ともすると忘れ去られてしまいそうな日本の貴重な遺産とも言うべき各地の古社寺を取材し、多くの支持を得る。かくれ里と言うくらいで、メジャーな観光地ではないが、京都や奈良などのメジャーな観光地が失いかけている素朴で純粋な信仰に支えられ受け継がれて来た集落の文化財に触れる機会を得ることができました。
…東京に帰ってから、その頃、島崎藤村君が近所に住んでいたものだから、帰ってくるなり直ぐにその話をした。そしたら、『君、その話を僕に呉れ給えよ、そして、誰にも云わずに呉れ給へ…』ということになった… 「藤村の詩椰子の実(柳田國男著)」より
我が家のステンドグラス...