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二・二六事件・浮かび上がる戦争への道

 

二・二六事件・浮かび上がる戦争への道

令和元年815日(終戦記念日)に放送されたドキュメントは、大変に内容が濃く興味深いものでした。昭和11226日に勃発した二・二六事件の未発表機密文書の公表です。

 

事件当時学生だった義父(当時21歳)は、その日に用事があり、雪の中を出かけたところ、日比谷のあたりで拳銃を持った軍人から、「ここから先は行くな…」と言われ、仕方なく引き返した…

 

との経験談を何度か聞いていました。生の歴史に触れた稀な経験として、二・二六事件は特別な事件でした。あの悲惨な太平洋戦争であるが、その下地となったのが二・二六事件でした。しかし、ここに新たな情報が公表されました。

 

    陸軍には記録があり公表されていたが、海軍に詳細な記録が残っていたこと。

    海軍に記録が残っていたことを極秘文書として伏せていたこと。

    クーデター発生直後、昭和天皇は海軍軍令部総長を呼び、「海軍は同調することはないのか…?」と痛く懸念をしていたこと

    海軍は即座に情報網を敷き、詳細な情報を集めたこと

    同時に、陸軍がクーデターを抑えられない場合は、海軍が鎮圧する準備を進め、海軍の陸軍部隊と艦隊の配備をし、攻撃命令を待つだけの状態だったこと

    特に、艦隊は攻撃準備を済ませ、国会議事堂を砲撃する準備を済ませていた 

    では、なぜ海軍は詳細な記録を公表することなく、極秘にしていたのかですが

1、事件の7日前の219日にはクーデター計画を掴んでいたこと

2、襲撃する政治家のリストも入手していたこと

3、首謀者の実名と実行部隊の詳細なメンバーの情報も掴んでいたこと

4、事件発生後に、事前に情報を持っていたにも関わらず静観することで事件発生を止めることができなかったことで海軍が批判されることを避けるために極秘扱いしたこと

 

海軍の関与の重大性

以上のことはほとんどの日本人が知らなかった事実です。歴史関連の著書を多数執筆している半藤一利氏の「昭和史」の中の、“二・二六事件”を改めて読んでみました。陸軍の記述だけで、海軍の記述は全くありません。あの半藤氏を以ってしても、海軍関与の情報がなかったようです。海軍贔屓だった司馬遼太郎氏ですが、この事実を知ったらどんなコメントを発することでしょうか。勿論、陸軍が中心であったことは間違えありませんが、昭和天皇が青年将校らの行動(クーデター)に理解を示すような態度が見られたなら、陸軍に後れを取ることなく海軍も同調しよう、そんな下心が明確に見えてきます。

 

軍内部の対立

海軍と陸軍との対立は知られたところですが、陸軍内部でも、皇道派と統制派の対立が知られています。クーデターを起こした動機の半分以上は、皇道派の統制派に対する主導権奪取の意味合いが強かったようです。また、最悪の場合海軍が鎮圧に乗り出していた可能性があり、そうなれば内戦です。やはり、軍人が何を言おうと、国や国民などは眼中になく自分たちの組織の主導権争いに明け暮れる様子が浮き彫りになりました。今の政治家や官僚はどこを向いているのでしょうか?

 

大本営発表

不都合な真実は隠す。数字や情報は恣意的に改竄する。情報が洩れてしまったら、力で封じ込める。二・二六事件は昭和11年(1935年)の事件ですが、平成・令和の時代になっても、当局による情報操作は全く変わっていませんね。しかし、そんな露骨な情報操作を行う政府を多くの有権者が支持している訳ですから、日本人は「嘘だと分かっていても、口当たりの良い嘘を言ってくれる人間ついて行く…」ということでしょうか。また、二・二六事件を検証する際に、海軍関与という根本情報が74年も秘されていたという事実に改めて驚きます。おそらく、聞いたらびっくりしてしまうような“不都合な真実”が霞が関には沢山埋もれていることでしょう。それとも、真実は得てして残酷なものであるので、真実など知らないほうがいい、そんな選択を多くの人がしているのでしょうか。