シリーズ 使われなくなった道具

17 電気を使わない機械

 先日、ガスコンロの火がなかなか着火できず困ってしまいましたが、着火に使う電池が切れていたと判りました。家の中の機械を見ると、電池を含めた電気を必要としない機械はほとんどないことに気が付きます。湯沸かし器もガスストーブも電気がないと動きません。電気が止まってしまったら、お湯すら湧かせず、お茶も飲めません。本当に電気に依存した社会になってしまいました。
 一方で、地球温暖化が深刻な問題となり、CO2排出を抑えなくてはならない状況に置かれています。電気をコンスタントに供給し続けなくてはならないことと、CO2排出を抑えなくてならないという二律背反の命題を、同時にクリアーしなくてはならない状況下にあります。原発・化石燃料発電・水力発電・代替エネルギー発電etc.、どの発電方法を取るべきかの議論が繰り広げられて来ましたし、今後もその議論は続くのでしょう。
 しかし、何かとても重要な視点が欠けているように感じています。人間が欲望のままに消費を続け、電気を必要とする生活環境を無限に広げて行く現状をそのままにした問題解決は不可能ではないでしょうか。社会科学としての経済は、膨張し続ける宿命のようですが、経済原理には地球資源に限界があるという前提が無いことで成立しています。企業は利益拡大を最重要課題にしていますが、地球がなくなってしまえば、企業利益も何も無いと思うのですが…。
 電池も電気も必要としない、ゼンマイ仕掛けの時計の音を聞き、ガスストーブの火を眺めながら、自分の行動を反省することしきりです!

16 背負い籠・背負い梯子(しょういこ・しょいばしご)

 背負い籠は今でも使われているのでしょうか?比較的軽い農作物や山菜などの収穫には便利ですね。背負い梯子は、今ではボッカさんが山頂に荷物を上げる時に使われているようです。両方とも、両手が空き作業に便利ですね。かつては、これらの道具は、一人の人間が一日にこなすことができる仕事量には丁度良い大きさでした。
 現代は、一人の人間には巨大過ぎる量の仕事を人に要求したり、人から要求されているような気がします。同時に、限られた資源を不相応に消費しているように感じてしまいます。同時代の人間同士が資源を取り合うという意味だけでなく、未来の人間からも多くを奪ってしまっているような気がします。背負い籠・背負い梯子は、現代人に節度を呼び起こそうとしているようにも感じます。

15 一升瓶と尺貫法

 一升瓶を、かつてほど目にしなくなりました。地方のスーパーなどに行くと、醤油やお酢などを一升瓶で置いてあるところもあります。酒蔵やワイナリーなどでは、今でも一升瓶が使われていますね。紙パックは便利だと思いますが、やはり一升瓶には作り手の心が籠っているような気がしてなりません(これも思い込みですね)。                                            さて、そんな長さや体積の単位などどうでもよいと思われる方もいらっしゃると思いますが、実は国つくりの基本なのです。秦の始皇帝が中国全土を統一し、さあこれから広い中国を治めて行こうとした際に、最初に行ったことは2枚目の写真の度量衡(計量桝)を中国全土に配ることでした。安定した徴税は国つくりの基本で、長さや体積の単位を統一することは、安定した徴税には絶対に必要なことだったからです。日本の戦国時代に、それまで誰も考えもしなかった天下統一を最初に思い描いたのは信長でした。信長は天下統一をかなり現実的なことと捉え、着々と検地に着手していました。そして、より広範囲な検地が秀吉に引き継がれ、尺貫法が全国標準になって行きました。令和の時代になった今でも尺貫法はしっかりと我々の生活に根付いていますね。                                 1勺  18ml   1合 = 10勺 180ml  1升 = 10合 1.8L  1斗 = 10升 18L  1石 = 10斗 180L          お酒を人に注ぐことを「お酌」と言いますが、「酌」の字が酒偏に勺ですね。御ちょこに1回およそ1勺(18ml)ぐらいのお酒が注がれることから勺(しゃく)という表現が生まれたと、私は勝手に理解しています。                                みなさん、お米を炊く際に、「今日は9リットルのご飯を炊こう…」などと言う日本人はいませんよね。「今日は5合のご飯を炊こう…」と尺貫法で数えますよね。また、お医者さんが健康アドヴァイスの際に、「日本酒なら1日2合くらいまでにしましょう…」という表現を使いますね。                                                             高校の漢文の先生(沖縄出身の豊原先生)が、李白を紹介する件で「李白、一斗百選」という表現をよく使っておられました。お酒を一斗(18L)も現実的に飲むことはなかったでしょうが、李白は“酒が入れば入るほど素晴らしい詩が沸いて出てきた…”とのメタファーでした。「石(こく)」は、江戸時代までの国や藩の生産規模を表す単位として、今でも使われている単位ですね。一石は、一人の人間が一年間に消費する量だと言われていますので、加賀百万石と言った場合、加賀藩では100万人もの人間を養えるほどの国力があるという解釈です。  10進法が一番解りやすく便利であることは確かだと思いますが、時間を表現する際には60進法を今でも使っていますし、テニスでは1回ポイントを取る毎に15・30・40とカウントしています。ものの数え方は合理性だけでは取って代わることができない文化であり慣習ですので、尺貫法も使い続けて行くことで残って欲しいと思います。

14 衣裳盆(お仕度盆)

 着物を着る際に、帯や小物など一式をまとめて置いておくお盆です。直前に揃えようと思っても、足りない小物類があったりすることがあるので、何日か前に用意をしておきます。写真のお支度は、浴衣のお支度です。女性の夏のお洒落は、何といっても浴衣がチャーミングですね。写真の衣裳盆も、母親が可愛いお嬢さんの着物を用意するために、大切に使い継がれて来たものでしょう。明るい家族関係を思い浮かべることができますね。長く使われて欲しい道具であり、長く続いて欲しい習慣です。


13 桝(京桝と信玄桝)

 最初の写真は、手前から5合桝・1升桝(京枡)・3升桝(信玄桝)です。

京桝(一升)15×15×81800立法センチメートル 1.8L

信玄桝(三升)22.725×22.725×10.45649=5400立法センチメートル 5.4L

桝は、液体や穀物の容量を測る計量カップで、農民にも行政側の人間にとっても、とても大事な道具でした。太閤検地後に、京枡と呼ばれる一升桝が、度量衡の全国基準とされ、戦後まで使われていたようです。3枚目の写真は、信玄桝の底に製作者が記した記録です。「昭和二十年十一月製 神戸市 中村杢太郎作」と記してありますので、信玄桝は戦後も製造され使用されていたことが伺えます。

甲州地方は戦国時代以来、信玄桝が使われていたようです。家康が天下を取ると、京枡が全国基準であると明確な通達が出され、それ以外の桝の使用は禁止されました。しかし、信玄桝だけは特例的に使用が許可されました。なぜ信玄桝だけが特例を受けることができたかは、調べた範囲では判明しませんが、予測はできます。家康はかつて武田軍に三方ヶ原の戦いで散々な目に遭い、命からがら浜松城に逃げ戻りました。その時の不様な姿を、“この屈辱を一生忘れまい”ということで、配下に描かせています。つまり、武田軍に対する恐れが江戸関幕後も残っていて、甲斐を変に怒らせたくないという思いがあったのではないか、そのように推測しています。信玄桝以外にも、信玄堤・信玄袋・信玄餅など、なまじ「甲州地方の…」などと言うより、「信玄××」と言っただけで瞬時に場所を特定できるところがいいですね。

置物としても可愛らしい桝ですが、意外な使い方があります。4枚目の写真の看板ですが、所謂「判じ絵」でお馴染みの、「××ます」という際に桝の絵が使われてきました。この看板は、「茶房やってます」という読み方になり〼。また、最後の写真のように、小物を納める厨子としても、とても重宝してい〼。


12 行燈

 行燈は、電気のなかった時代の、蝋燭や油脂を燃料とした炎を光源とする照明器具です。どうして“行”の字が当てられているのでしょうか?行燈は江戸時代初期に作られたようで、それ以前は油を入れた火皿だけの照明だったようです。風で消えてしまいますので、風よけの覆いを付けられるようになりました。また、置くだけでなく持ち運ぶことができるようなつくりになったため、ポータブルということで“行”の字が当てられたようです。

 中の灯は蝋燭も使われましたが、蝋燭は大変高価だったので、菜種油などの植物油が使われ、その菜種油も手が届かない庶民は、魚油を使いました。怪談に、化け猫が行燈の油を舐めるという話が出てきますが、行燈の油に魚油が使われていたためと言われています。

 

 写真(最初の2枚)の行燈はそれほど古いものではありませんが、外側の覆いが二重になっていて、灯の強さを二段階に調節できるようになっています。和紙だけでも味わいがありますが、外側の覆いには太陽と月の形のくり抜きがあり、日光と月光を楽しむことができるという趣向です。最後の写真の行燈は、室内で頻繁に使用するため、電球を取り付けました。


11 蝋燭と蝋燭消し

 蝋燭は実用品でもありますが、ちょっとした趣味というか癒しのアイテムでもありますね。電燈をつければ済む場面でも、蝋燭の灯りで楽しむことがあります。東北地震の計画停電区域だったので、その時は本当に蝋燭の灯りが有難かったです。放っておいても、蝋が切れれば自動的に消えるのもいいですね。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」は有名ですが、敢えて光の届かない影の部分をつくり、そこに美の神髄を見る日本人の芸術的感性を綴っています。

 さて、お寺や教会など大量に蝋燭を使う場所では、今でも蝋燭消しが使われている所もあるようです。写真の蝋燭消しの出どころは不明ですが、日本のものではなく、西洋のもののようです。おそらく、どこかの教会で使われていたものではないかと思います。こんな何でもない道具でも、色んな場面で色んな人に使われて来たのだと思うと、大事に残しておきたい気持ちになります。


10 うちわ と うちわ入れ

蒸し暑い季節ですね。エアコンは何とも有難いですが、うちわで十分に間に合うケースもありますね❗暑いからエアコンを使うのでしょうが、エアコンを使うから外が暑くなると言う面もありますね。うちわをもっと使いましょう‼️


9 豆籠(まめかご)

 野菜などの食品や、その他どんなものでも入れておく籠です。大きさの違う豆から、ある大きさの豆だけを”ふるい”のように使ってより分けることにも使われたので、豆籠(まめかご)と呼ばれています長け。という素材は本当に便利な素材ですね。かたい部分もあれば、しなやかな曲線が必要な道具にでも使えます。適度な軽さの割には耐久性もあります。

物の素材は大きく分けて2種類に分類されると思います。

1,自然に戻るもの

2,自然に戻ることがないもの

プラスチックは安価で便利な素材ですが、環境を破壊することほど高くつくものはないと思いますが、いかがでしょう。異本の自然環境に合った素材の竹をもっと活用できるようなライフスタイルを見直すといいのではないでしょうか。


8 戸袋の装飾

 なんともすっきりとした戸袋の装飾だと思います。戸袋に装飾があっても無くても機能面の影響はありませんが、そこを敢えて施す”飾りっけ”というか”洒落っけ”は、とても重要だと思います。もう30年近くになるでしょうか、このオタクのそばを通る度に良い気分にさせていただいております。ちょっと前まではそれほど珍しくなかったと臣ますが、いつから、そしてなぜ、とぶくrの装飾をしなくなってしまったのでしょうか?戸袋に限らず、”うだつ”や外壁にちょっとした装飾を施し、通る人に小さなメッセージのようなものを伝えることで豊かな街並みに育って行くような気がします。

 私の街は1~3丁目まで2000世帯以上あると思いますが、私が知る限りでは、戸袋に装飾があるのはこちらだけです。戸袋に何かワンポイントの装飾をつけてみてはいかがでしょう!


7 竹の皮

 竹という植物は身近にあり、何とも用途が豊富です。

1,筍として春には食材となります

2,姿が美しく竹林として景観をなす

3、幹が道具・家具・建築材など様々な用途の素材となる

4,「竹林七賢人」「松竹梅」「竹馬の友」など文芸の題材となる

5,皮が大変に利用価値がある

 今回のテーマの”竹の皮”は、幹の成長とともに自然に落ちてしまいます。しかし、昔の人は身近にあるものを実にうまく利用したもので、一見何の役にもたちそうにない竹の皮を、食器として使ったり、食物を携帯する際のラッピングに使いました。

 竹の皮は、表面が強靭な繊維質の被膜になっているため、通気性に富んでいます。また、フラボノイド色素が含まれているので、抗菌作用と防腐作用があります。つまり、外部からの刺激や異物に対して抵抗力の無い竹の子を保護し、必要な水分を調節します。竹の子が十分な抵抗力を持つ太い幹になれば役目を終え自然い剥がれて落下します。

 ちょっと前までは、おにぎり・精肉・鮮魚などを竹の皮で包装し、持ち運んでいました。殺菌防腐作用があるので食品を長時間保存してくれますし、通気性があるので湿度調整もしてくれます。現代の文明人は、科学(化学)という枠で成分分析の知識を得ていますが、それ以前の日本人は科学知識を持たなくとも竹の皮の有用性を知っていました。水分(露吹き)が出て本来のおいしさを失おうと、おにぎりをラップで包み、血や肉汁が染み出すことで旨味成分を失ったり、視覚的にも悪影響を与えようと肉や魚をトレーに入れる文明人。ただ同然で入手できる素材を利用し食物を美味しく食べていたかつての日本人とでは、どちらが豊なのでしょうか。

 ネットで調べてみると、何と竹の皮が通販で売っているのですね、驚きました。伊豆から東京に出て来たばかりの頃に驚いたことの一つに、お店で栗が打っていたことでした。栗は周辺の山で採ってくるもので店で買うようなおのだと思っていなかったものでしたから。竹を売る人、それを買う人…、そのうち親切な言葉や思いやりまでもがネットで売買されるようになるのでしょうか?


6 鎹(かすがい)

子は鎹「子供が親の仲を取り持つものだ」

豆腐に鎹「手ごたえが無いこと」

誰もが普通に使っている表現のようでもあり、今では誰も使わなくなったような表現でもあります。一体どちらなのでしょうか?鎹(かすがい)とは、二つの木材が離れないように固定するコの字型をした金属の道具(写真1・2)で、ホッチキス(今はステイプラーと言うのでしょうか)の芯のようなものですね。いつ頃から使われるようになったかははっきりと判っていないようですが、古墳時代直後から使われていたようです。また、写真3のような木製の部材なども鎹と呼んでいます。これは実用的な目的より、装飾的な効果の方が大きいのかも知れません。

 さて、大変に有名な鎹があります(写真4・5)。13世紀南宋で焼かれた青磁の茶碗が日本に贈られ平重盛が愛蔵していました。後に、この茶碗を所持していた室町幕府の将軍足利義正が、ひび割れに気づき代わるものを中国に求めました。すると、明時代の中国にはもやはそのような上質の青磁を焼く技術はないということで、鉄の鎹でひび割れを補修しておくり返してきました。何でもないように思われるかも知れませんが、薄い青磁を壊してしまうことなく鎹を打つには大変な技術を必要とします。この鎹は継ぎはぎの修復痕ですが、これが見事な景色となり帰って茶碗の価値を増すことになりました。鎹を馬にたかる蝗(いなご)に見立て、馬蝗絆(ばこうはん)と名づけられています。


5 天秤(棒)計り

かつて身近にあり、電気などのエネルギーや動力を使わず、人間の力加減や感覚で用いる道具を紹介しています。天秤計り(棒天秤)は、支点の両側に重さを計る物と錘(おもり)をぶら下げバランスを取ることで重さを計測する道具ですね‼️今は、デジタルの計測機で計測するのでしょうが、機械の中がどんな仕掛けになっているのか判らず、実際より重い数値が出るように設定されていたとしても判りません(色んな場面で数値を恣意的に操作されているような気がします)‼️棒天秤は、恣意的操作は出来ませんから、お互いが納得できますね‼️棒天秤は人が手に持ってバランスを取りますから、人が手に持つことが出来ないような重いものは計ることが出来ません❗それだけ、一般の人はある一定の範囲の中で生きていて、ある節度を越えないように慎ましく生活していたのだと思います!

その4 釜の蓋
 電気釜の普及と共に、それまで必需品だった御飯釜と蓋は大量に廃棄されました。釜の蓋は特別な細工はありませんが、御飯を美味しく炊き上げる重要な役割を担っていました。使われて行くうちに、燃料である薪の煤で黒光りして行きますが、この色が何とも言えない味を帯びて来ます。
 生活に余裕のある現代人は、5万円も10万円もする高価な電気釜を買い求めるしかありませんが、所詮は電気釜で炊ける御飯の味には限界があり、何の細工もない釜炊きの御飯の味には到底及ばないでしょう。贅を求めグルメを自負しようが、特に贅沢を意識せず裕福でもなかったかつての日本人が普通に食べていたよりずっと質の下がる主食を食べているのが現状です。
 日本人の米の消費量が年々減少していて、その減少カーブに見事に反比例するように糖尿病患者数が増加しているようです。米を食べなくなったぶんだけ、糖尿病の原因となるパンやパスタなどの摂取量が増えているのが原因であると専門の医師は説明しています。しかし、なぜ日本人の米の消費量が減っているかは説明していません。米以外の美味しい食べ物が気軽に食べられるようになったことが主な原因でしょうが、私は電気釜で炊く御飯が美味しくないからだと思っています。糖尿病が原因で、毎年日本人の2万本の足が切断されているそうです。糖尿病が原因で失明する方の統計は見たことはありませんが、たぶん相当な数になるのでしょう。御飯を炊く手間を短縮する代償に、美味しくない御飯や、はたまた自分の眼や足を差し出しているとしたら、一体現代人は何をやっているのでしょうか❓釜の蓋から、色んなことを考えさせられてしまいます。

3 砧(きぬた)

砧は、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具、また、この道具を用いた布打ちの作業を呼びます。古くは夜になるとあちこちの家で砧の音がしたそうですが、残念ながら私は直接その音を聞いた経験はありません。

砧の文化は、元は朝鮮半島の文化で、渡来人が麻栽培と麻布製法を持ち込んだ際に砧文化が日本にも伝わったようです。素朴な道具は人間の体の延長線上のものであり、そうであるならどんな物でも人間が体を使って作っていたことになります。すると、人間が身を削って作った物に対して、大事に扱おうとする気持ちが無意識に生まれ、出来上がった物に敬意も生まれます。何でもない砧ですが、人間の生活を立派に支えていたのだと思うと、無下にはできず、もう30年以上身近に置いています。
日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には使われなくなり、朝鮮半島では1970年代まで使われていたようですが、現在では殆どそれもなくなったようです。
砧の地名は、渡来人が移り住み、砧文化を伝えた地だからです。地名はやたらと現代風に変えてはいけませんね。


 その2 火熨斗(ひのし)

火熨斗(ひのし)は、今のアイロンです。平安時代から使われていて文献にも残っているようです。時間と共に取っ手の部分が朽ちてなくなってしまいますが、棒を取り付ければすぐに使うことができます。

 さて、わざわざ火熨斗などを使う必要などなく、アイロンのスイッチを入れればすぐに用がたせますね。しかし、火熨斗を使う過程で炭をおこしたり、熱さを加減したり、工夫のしどころ按配どころはいくらでもあります。そんな過程で無意識に色んなことを学んだことだと思います。停電が起こると大慌てになる文明人でも、1,000年も前からほぼ同じ作業をこなしていたことは知っていても良いと思います。

 今は、ちょっとした置物として使っています。篭手(こて)状のものは昭和初期まではデパートなどで売っていたようです。アイロンとは鉄のことですから、赤い柄の篭手は正にアイロンそのもので、電気を必要とするかしないかの違いです。


1 筵(むしろ)編み

「道具が進歩するのに比例(反比例)して人間は不器用になって行く」と言われています。かつては、草深い山奥の農家で、学校にも行っていない4つ5つの子供ですら普通にやっていたことを、高校の授業でハイテク機器を使って教えていたりすることもあります。現代のようにデジタル数値を通して物事を測ったり、ちょっとした不具合を複雑な機械で修理したりせず、自分の感覚で度合いを体感したり、バランスを調整するようにしながら使うことで直していました。

電気や複雑な仕掛けではない、どこにでもあるようなシンプルな道具を見て行こうという企画です

どこにでもあり、代用しようと思えばいくらでも代用がきくような道具は、身の回りから無くなりつつあります。無くなってしまっても特に不便ではないが、探そうと思ってもどこにもない、そんな、市や町の民俗資料館に置いてあるような道具を紹介して行く新しいシリーズです。

最初の道具ですが、何の変哲もない木片です。これはかつて農家では必需品でした。2枚目の写真のように筵(むしろ)を作る時に使う道具で、特に名前も与えられていないような道具です。しかし、こんな名前もないような道具でも、長年使われ続けていることで、何とも言えない味が出て、それ自体が存在感を持ってきます。型押しのプラスチックなどと違い、ボタンをポンと押すだけで量産できるものではなく、手作りであるので同じものは一つとしてありません。今では、置物として、時にペーパーウエイトとして使っています。