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令和囲碁美人ファイルナンバー5加藤さん・藤田さん


 加藤文枝さん・藤田淳子さん

今回はアンティークの振袖を着た二人の女性が碁盤を挟んでいる様子の、大変珍しいシーンをご紹介します。お二人はすでに紹介させていただいている方です(詳細はファイルナンバー2と3をご覧下さい)。水色地鳳凰尽くしの振袖を着ている加藤さんは有段者で、黒地流水菊紅葉散らしの振袖を着ている藤田さんは、現在加藤さんから特訓を受けていますので、実際に打てるようになる日も近いようです。

それにしても、振袖姿の女性どうしが碁盤に向かい合う様子は、まるで古典文学の一場面のようです。そこで今回は、源氏物語の中の囲碁シーンにスポットを当ててみました。

囲碁は古来より日常の一場面として親しまれて来ました。文学にも囲碁の場面が度々登場しますが、ここでは源氏物語の中で囲碁が登場するシーンを見てみましょう。

 「葵」の巻で源氏の君と若紫が碁を打っています。

「絵合」の巻で源氏の君が「碁の上手下手というのは天分で決まるものだ」と言っているようです。そのような見方も成り立つのでしょうか?上手下手が生まれながらに決まっているとなると悲しいですが、決まっていたとしても幅があるでしょうから、決まっている幅の一番下で甘んじるのか、それとも一番上までたどり着くかはやはり個人の努力次第だと思いたいです。

「竹河」の巻では、玉鬘の娘たちが碁を打っています。

「橋姫」の巻では、妻に先立たれた宇治の八の宮が、遺された姉妹と碁を打ったりして育てたとあります。平安時代、囲碁は主に女性の情操教育の一手段と捉えられていた節が伺えます。男性より女性の嗜みであり娯楽であるというポジションだったようです。世のお父様方も、お嬢様に囲碁の素養を身につけさせてあげたら一生の宝になるのではないでしょうか。

「宿木」の巻では、今上帝が娘の女二宮と碁を打ち、その後、帝は薫とも碁を打ちます。今の天皇家でも、家族内で囲碁を打って頂き、その様子を国民に見せて頂けたら嬉しいですね。テニスを楽しむ様子はオープンにされているのですから、囲碁の方がより皇室には似つかわしいと思います。また、天皇とその時の名人が定期的に碁を打つようなことを、どなたか企画し宮内庁に掛け合って頂けないものでしょうか。

「椎本」の巻では宇治の邸を訪問した匂宮を八の宮が歓待する遊びのなかに碁も含まれます。知人を訪ねた際に、囲碁で持て成して頂くようなことがあれば、それは大変嬉しい訪問になるでしょうね!

「東屋」の巻では、二条院で右大臣(夕霧)の子息たちが碁を打っています。

「手習」の巻では、浮舟と少将の尼が、碁を打ち、浮舟の強いのに尼は驚嘆します。その後、ついに出家を果たした浮舟は尼君らと碁を打って気晴らしをしています。それにしても、浮舟さん凄いですね。「往生要集」を著した恵心僧都(源信)は囲碁が強いことで知られていて、滅多なことでは負けることはないと自他共に認める囲碁の強者だったようですが、「私は全く弱いので自信がありません…」と言いながら、その恵心僧都を負かしてしまうのですから。最もよく知られているのは、やはり

「空蝉」の巻でしょうか。空蝉と軒端荻(のきばのおぎ)が碁を打っているところを源氏の君が垣間見る場面が登場します。注釈書などには「垣間見る」という表現を使っていますが、端的に言うと「覗き見」です。源氏の君が何と、女性同士が碁を打つ様子を御簾の間から覗き見しています。しかも、覗き見ているところを誰かに見られはしないかと、ハラハラしながらも興味津々で見ているのですから天下の色男もだらしがないものです。でも、帰って現代人にも親しみが沸いて来る場面ですね。またここでは、「闕(セキ)、持(地)、劫(コウ)」など、当時の碁の用語が注意書きもなく出てきますので、著者の紫式部もその読者も、囲碁用語を特別な専門用語ではなく、普通に理解される日常の言葉と捉えて使っていたことが伺えます。

 さて、このように囲碁に焦点を当てて源氏物語見て行くと、約1000年前の平安時代も令和の現代も、囲碁が人の生活の中で果たす役割は全く変わっていないことに改めて驚かされます。悩み多き現代人も、もう少し囲碁に接する時間を持ち、神経を少しでも解すことができるといいですね。