· 

1 「坂の上の雲」司馬遼太郎

まことに小さな国が開明期をむかえようとしている…                                          最初の一行を読むだけで心にグサッと刺さって来ます。明治期、日本全体が苦心し、努力をすることで近代化を果たしました。この作品は、司馬氏の最も時代背景が新しい作品です。それ以後、つまり昭和を書くことはとうとうできませんでした。日本海軍が世界最強と目されていたバルチック艦隊をパーフェクトゲームで全滅させてしまいます。なぜそんなことができたのか。陸戦を含め、弱小日本軍はなぜ大ロシア帝国と互角に戦えたのか…。日本人必読の書であると、昔から、そして今でも、そのように感じています。                私は、自分でも不思議なくらい司馬氏の作品と司馬氏本人が大好きです。理由は、司馬氏がベストセラー作家でありながら無欲・無私だからです。自分の作品で当ててやろうとか、金を儲けて贅沢をしようという類の感情を殆ど感じません。では何が司馬氏の創作意欲を掻き立てたのか、それをみなさんに是非伝えたいと思います。                                        司馬遼太郎(本名:福田定一)は、1944年(昭和19年)、21歳で召集され、翌年の終戦直前に栃木県佐野市の戦車隊に配属されます。戦況がいよいよ悪化し本土決戦が現実味を帯びてきた状況下で、福田青年は上官に、とても素人臭い質問をします。             「…本土決戦になったら東京方面から一般人が大挙して北上してくるのではないか。それぞれが家財道具などの荷物を大量に運んでいるだろうから、主要道路は混雑しごったがえすだろう。そんな時にここ佐野の戦車部隊に上京の命令が出ても戦車を進められないだろうから、そんな時はどうしたらいいのか…?」                                                上官は何の躊躇いもなく、答えは明快です!                                          「ひき殺して進め…!」                                                    司馬ファンの間では有名なエピソードで、この戦争の本質と社会構造を端的に示すエピソードだと思います。この瞬間、福田氏のその後の生き方と、作家司馬遼太郎の作品テーマが方向づけられました。『上官(当局)の命令を遂行することこそ絶対で、自国民を戦車でひき殺してでも命令を貫徹せよ…』と言うわけです。何だか今と似ていますね。日本人はどこから来てどんな生き方をしてきたのか?日本とはどのような国なのか?こんなバカな戦争をするような国ではなかったはずだ!・・・これらの疑問を払拭することこそ、司馬氏の創作意欲の原動力となりました。大ベストセラーであり、司馬作品の代表作と評されていた「坂の上の雲」に対し、映画化のオファーが再三ありましたが、司馬氏は了承しませんでした。戦争賛美と受け取られかねない内容を含んでおり、誤解されることを恐れたからです。日本と日本人をこよなく愛し、故に、日本と日本人の行く末を死ぬ直前まで気遣う中で平成8年、惜しまれながら最後を迎えました。