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10「小説太平洋戦争」山岡荘八

ブックリレー10 山岡荘八「小説太平洋戦争」

(オリンピックで盛り上がる部分はあると思いますが、8月はいつもあまり考える機会のない戦争について考える月間だと思っていますので、少し考えてみました)

 山岡荘八の歴史小説100冊シリーズは、13番「源頼朝」に始まり、「太平記」「太閤記」から途中2348番「徳川家康全26巻」を経て、8691番「明治天皇」と続きます。そこまでは、それぞれ時代も内容も異なるものの、歴史小説としてのエンターテイメントの要素を交えながら、一定のリズムでストーリーが展開して行きます。が、ラスト92から100までの9巻は、まるで別の作者ではないかと思うほど、それまでの作品とリズムが違っています。山岡荘八は、1942年より終戦まで、従軍記者として各戦線を実体験したため、公職追放の憂き目にも会いました。軍側の人間としてでもなく、民間人としてでもない、山岡氏独特の記者として内側から見た視点で太平洋戦争を表現しています。この戦争を美化することもなく、加害者や被害者としての立場からでもない、どこにでもいそうな普通の日本人が、与えられた職務を懸命に全うしようとする姿を淡々と伝えるドキュメンタリータッチで描かれています。それまでの、娯楽としての山岡小説とは明らかに異なり、太平洋戦争の実態を正確な情報として伝えなくてはならないという使命感が伝わってきます。

 この小説のなかで、山岡氏は事務的に事実を綴っていますが、頑ななくらいに太平洋戦争の評価を一切していません。時代や個人の利害で同じ戦争も見え方が大きく違ってくるからでしょうか。日本の戦争突入目的は「国体維持とアジア諸国の欧米からの解放」でした。一方アメリカの戦争参加目的は、「アジア進出と共産勢力の南下阻止」でした。終戦後の状況を見ると、日本は目的を果たし、アメリカは目的を果たすことができていません。その意味では、時間と共に日本人は今と違った評価をして行くのかも知れません。しかし、目的を達成するためであったにせよ、随分多くの犠牲を払ったことは忘れてはいけないでしょう。原爆投下に対するアメリカ人の評価は、徐々に「良くなかったのではないか」という意見が増えてきているようです。

 

 昭和初期から終戦までは、翼賛的な同調圧力が日本に蔓延し、本当に息苦しい時代だったと思います。現代人から見ると滑稽にも映る大本営発表を、当時の日本人は真に受けていたような部分もあったようですが、真実を覆い隠し政権に都合のいいように数字や情報を操作して国民に伝える手法は今も全く変わっていません。嘘を平然と隠し通せる官僚は高く評価され出世もし、隠蔽や改ざんに躊躇し悩む者は死んでしまえということなのでしょうか。また、政治家・官僚を始めとした国民全体の「自発的従属」の姿勢は、ある意味で現代の方が甚だしいのかも知れません。「自発的従属」を現代風に言えば「忖度」ということになるのでしょうか。「平和」はありがたいのですが、「積極的平和」は如何なものでしょうか。“積極的平和のためなら戦争も辞さず”、なんてことを言いだす者が出て来るような気がしないでもありません。未来に向かい前進して行く姿勢は必要でしょうが、だからこそ過去に学ぶことがより重要だと思います。