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3「国民の芸術」田中英道

誤解と非難を覚悟で「国民シリーズ」を愛読書として紹介させて頂きます。
「国民の芸術」田中 英道
「国民の思想」八木 秀次
「国民の道徳」西部 邁
「国民の教育」渡部 昇
「国民の文明史」中西 輝政
そして、出版社が扶桑社とくれば、「お前は右翼だったのか…!」と言われても仕方がないですね。内容が濃く500~800ページもあるこのシリーズを何回か読み返しましたが、読んでいるさ中はなかなか心地が良かったと思います。奈良飛鳥寺の仏様は、「右方面から見るのと左方面から見るのとでは表情が違うのだ…」と、そこの和尚さんが説明してくれます。飛鳥寺の仏様でなくとも、物事は見る方向によって光加減や温度差があり、全く違って見えて当たり前ですから、私は物事を上下前後左右から見るように心掛けています。自分でも不思議ですが、左の人が毛嫌いするような論客の本でも不思議と抵抗感なく楽しめます。頭山満・内田良平などは気のいいおじさんのような印象ですし、杉山茂丸は日本史の中でも五指に入るくらい好きな人物です。赤尾敏を極右の変人のように思う方も多いのかも知れませんが、私にはいたって常識的な思想のように思いますし、鈴木邦男などは本当に穏健な評論家に思えます。
 さて、印象派やポップアートを語る日本人は多いと思いますが、「国民の芸術」の表紙の仏像である奈良興福寺・阿修羅像の作者を知っている日本人はどのくらいいるでしょうか?ミケランジェロは人類史上傑出した彫刻家であることは間違いないと思いますが、ダヴィデ像を刻む700年も前の日本でダヴィデ像を数段上回る表現の彫像が創作されていました。明治期に幸運にも洋行の機会を得た画家たちが、意気揚々とヨーロッパに出かけて行くと現地の画家たちは不思議がりました。「日本にはあんなに素晴らしい美術があるのに、なぜわざわざここに来るのか…」と。近代画家で日本美術に影響を受けなかったのはセザンヌくらいのものだと言われています。ゴッホを筆頭にほとんどの画家が日本美術と日本に憧れて止みませんでした。日本美術の価値を一番理解していなかったのは日本人だったのかも知れません。今はどうでしょうか?
 日本美術の大きな特徴は、表面的な造形表現より内面の精神表現に主眼を置き、シンメトリーより非シンメトリーを好み、作者の意図した結果より創作過程での偶然を喜ぶ、などです。例えば、曜変天目茶碗は世界に四点しか現存しませんが、そのすべてが日本にあり三点が国宝になっています。中国の焼き物で、中国人にとっては意図しなかった模様が出ているので失敗作ですが、日本人はその絶妙な模様に高い芸術性を見抜きました。そんな日本人の芸術に対する意識の神妙さを、風土論・国家論・宗教論までも包含しながら論じつつ、『日本・芸術国家論』へと展開する国際的美術批評家乾坤一擲の力作だと思います。